参列させないのは入学式か、卒業式か

□授業料滞納6億 教育上よくない(読売新聞投稿欄)

(前略)低所得家庭への配慮があるのは当然ですが、払えるのに払わないなどもってのほか。ある程度の期限をきっちりと定めて退学にするべきです。
 最も生徒を傷つけているのは授業料を払わない保護者自身ではありませんか。切符を買わなければ電車に乗れないし、食事をしてお金を払わなければ警察に通報されるのです。
 へりくつを述べて、払うべきものを払わなくても罰則を受けずにいられるなど、教育上、最も良くない事例です。子どもに見せてはいけないと思います。

 親が入学金を納めなかったがために、高校がその生徒を入学式に出席させなかったという事例が最近ありました。
 入学金の納付について分割ができるなど保護者に事前説明をしたということだし、授業料滞納が目立つなか、けじめをつけるという高校側の意図は理解できなくもありません。しかしこの場合、高校側の意図も保護者側の事情も、生徒個人にとってはどうしようもないことであり、関係のない話でもあり、にもかかわらず入学式に参列できなかったのは生徒自身なんです。
 そして、学校とは誰のための施設なのかといえば、教職員が自らの教育理念を実践するための研究施設ではなく、一般常識の欠けた保護者を再教育しなおす矯正施設でもなく、まさしく生徒自身が教育を受けるための施設でしょう。なのに、まるで学校側が生徒を人質に取ってその保護者に入学金と態度の是正を要求しているかのような今回の騒動は、まるでそうとは思えないがゆえに、なんとも胸くそが悪い。
 まず何より、生徒は自らが努力の成果として入学試験をパスしてきたわけですから、高校は義務教育ではない云々ではなく、生徒個人としては完全に入学式に参列する権利を得ているのです。それは何人にも阻まれてはならない。努力は報われる、結果は尊重される、それを否定しておいて何が教育でしょう。
 にもかかわらずですよ。彼ら・彼女ら本人が不始末を起こしたというのならまだしも、そうではない、生徒自身にはどうにもならない理由によって拒まれたのだとしたら、それは理不尽以外の何者でもありません。
 入学式には参列させなかったけれどそれ以外は通常に登校も授業参加も認めるという。それにしたって、入学式に参加できなかったのは保護者が入学金を支払わなかったからだという認識が学校中に広まってしまえば、本来ごく自然に結ばれるべき級友たちとの友誼にいくらかのハンディを負うことになり、それは不幸以外の何者でもありません。
 もちろん、そのハンディを逆手にとって、「俺はあの有名な〜」と前向きに開き直ってむしろたくさんの友だちを得る機会とするかもしれませんよ。でもそれこそ彼ら・彼女ら自身の努力によるもの。学校側にも保護者にも関係のない話です。
 今回の騒動は、学校側がどんなへりくつを捏ねようと、生徒の気持ちを顧みず"みせしめ"にしているということに変わりはありません。その上で、それを承知のうえでなおへりくつを捏ねたいとおっしゃるのなら、どうぞご自由にとしかいいようがありません。
 ――小中学校において給食費を支払わない親が増えているという問題と、高校において入学金や授業料を納めない親が増えているという問題の、各々の対処方法は異なります。小中学校は義務教育であり、給食もまた教育の一環であることから、"教材費"ともいうべき給食費は、税金収納と同レベルの強制力で集金するべきです。
 それに対して、高校は義務教育ではないのだから、入学金や授業料を強制的に、ましてや集金のためだけに特別の予算を計上し専門の業者に委託するというようなことまでする必要はありません。
 規定の金額を納めないならば、卒業させなければいいのですから。
 授業料全額を卒業前最終期日までに耳をそろえて納めなければ、卒業資格は与えません。高校卒業資格がなければ大学には進学できないし、就職についても同様でしょう。授業料等を納めなくてもクラス単位の教育活動であれば暫定的に参加を認めるけれど、個別的な対応を必要とする事柄については参加できませんよ、そう予告し、併せてクレジットカードでの支払い方法や分割納付のための教育ローンを紹介すればいい。
 そうまでしても、経済的にそれほど困窮しているのでない保護者が規定の金額を払わないというのなら、親の不始末で生徒本人が実際上の不利益を被らないためにも、個別相談かあるいは本人の申し出によって、生徒個人に支払ってもらうようにする。放課後か休日、学業に差し障らない程度の時間、就業体験を兼ねて地元商店街の理解ある商店にアルバイトとして働いてもらうんです。もちろん学校側の付かず離れずの指導監督の下で。
 これは現実的であると同時に、教育的にも意味のある対応だと考えるんですが、どうでしょう。義務教育ではないということを、学校側や保護者が責任として押し付けあうのではなく、まず生徒自身が権利として認識し、責任を持って行動できるようにするということが、彼ら・彼女らにとっては何より、理不尽な事柄による被害を予防することに繋がるのではないかなと思うのです。
 お金によって成る現実、費用をもって成る社会というものを"やんわり"と見据えながら、日々勉学に勤しむ。これこそ、義務教育ではない教育施設での教育のありようではないですかね。

「夏空カナタ」「殻ノ少女」

 最近はギャルゲーの体験版をよくプレイしているので、その感想をこうして書くことが今後もあるかもしれません。プレイといっても、声優の音声をオフにして、音楽は聞いたり聞かなかったり、オートプレイで眺めているだけというのをそう呼んでよいものならば。
 それにしても、DependSpaceさんはすごいですね。僕がハンドルネームを今のものに変える前の20世紀末、瀬川さんがギャルゲーニュースサイトをオープンさせた頃から知っているんですが、それからずっと運営を続けられているんですよ。継続は力なりとは確かにいうけれど、もうすぐ10年になるじゃないですか。
 生生流転の激しいこのネット世界、多くのギャルゲーユーザーの用と、多くのギャルゲーブランドの益に貢献し続けてきたその歴史は、偉大です。
 個人としても、同じことにずっと興味を持ち続けるということ、それがエロゲーであろうとなんだろうと、素晴らしいことだと僕は思います。どのようなことであれ、長く続けることで価値は生まれる。それが誰かの役に立つものであればなおさらです。
 僕なんて、確かに初めてサイトを開設したのは1998年で、それ以来なんだかんだで続けてきているけれど、サイトの場所も、その内容も僕自身の興味自体が変遷を繰り返してきましたからね。アニメにしろギャルゲーにしろ、見たり見なくなったりプレイしたりしなくなったり。ほんと何にも続かないし人の役に立つということがない。
 まあ、そんなわけで体験版入手のためにまたお世話になります。よろしくお願いします。

夏空カナタ
ゆずソフト最新作『夏空カナタ』2008年5月23日発売
 どうしてもキャラクターデザインが好みで気になってしまうんですが、こうして体験版をプレイしてみると、しょせんは「ぶらばん!」のゆずソフトだなあというか。
 シナリオがかなりダメそうな予感。物分りが良く礼儀正しい好青年である主人公が描写する世界というものに、ほとんど興味をそそられないんですよね。単調というか、投げやりというか。情緒というものが欠如している。
 物語紹介を読む限りでは多少面白そうだったんですけど、しかしこの体験版であきらめがつきました。なんて浅い、短期記憶障害とか、きっとすごいファンタジーで解決させられちゃうんだろうなあ。
 もちろん、立ち絵からして由比子や茅羽耶の上目遣いにわけもなくドキドキしてしまうくらいだから、ただのエロゲーという意味ではきっと期待を裏切らないのだろうけれど。そういうのは内容があってのことだから。今度ばかりは中古で安く売ってても手を出さない。

殻ノ少女
Innocent Greyが贈るサイコミステリィADV第三弾 「殻ノ少女」2008年夏発売!
 これは面白そうな推理ADVですね。
 製品版には含まれない内容だという、この体験版。プレイ時間が1時間にもみたないささやかなものだったんですが、それでも期待せずにはいられないこの落ち着いた味わいある雰囲気と、ハイクオリティなサウンドはどうだろう。
 「現在ほとんど見られなくなった一世代前の推理AVGを採用」、いいじゃない僕は一世代前のプレイヤーだもの。犯行現場で怪しい場所をクリックする捜査パート、この体験版に含まれていたかどうかわからないけど「手帳システム」とか、まるで「探偵 神宮寺三郎」シリーズみたいだわ。
 システム周りは古風ながら安定した感じで、巧妙な視点変更、演出的に挿入される縦書きテキストなども含めゲームとして意欲的。18禁であるがゆえに容赦ないグロテスクさにあって、ひときわ映える耽美なヒロイン、彫りの深い男性キャラはいかにも推理AVGという感じで堪りません。
 登場人物も多いようで、あまり感情移入できるタイプのギャルゲーではなさそうだし、好いた惚れたにうつつを抜かしていられないだろうけど、たまにはこういう古くさめの本格派ミステリーもいいでしょう。主人公の妹・時坂紫がかわいいしね!
 まあ、同ブランドの先行作「カルタグラ」はシナリオが惜しかったという評価が大勢を占めているみたいで、不安はなくもないんですが。応援しますよ、いいですね?

大人の階段とはそういうものだ

 この4月から始まったアニメ「紅 kure-nai」の第5話「望み」Bパート、五月雨荘の住人たちの宴会騒ぎが妙に面白くて、そのシーンだけ20回くらい繰り返し見てしまいました。
 「紅 kure-nai」アニメ公式HP
 すっかり酔っ払ってぐだぐだになった武藤環が、崩月夕乃との関係で真九郎にしつこく絡み、それを愚直かつ気弱に否定する真九郎。しかし無垢な紫が彼の弁明を否定するようにふたりの関係について"証言"し、同じく酔っているのか闇絵は冷静のようでどこかズレた指摘を差し挟む、湯豆腐を囲んで繰り広げる不毛で珍妙極まる団らんが、もうね、最高でした。
 それとはいっさい関係なく寒空の下、ラブホ前で張り込みをしている弥生の愚痴も実にいい味。
 これらは物語的にはたぶん意味がないんでしょうけど。このたぐいまれなる臨場感というか、誰にでも経験がある、もう盛り上がりすぎちゃって心の統制がきかず、全然くだらないことなのに腹がよじれるくらい笑えてしまうというような、あの涙が出るくらい可笑しい感じを、湯豆腐を"ほふほふ"美味しく食べている紫を通して僕も共感しているんだなあと、思ったのですよ。
 湯豆腐を、夏でも普通に食べてるくらい大好きだって話をついこないだ書いたというのもあるかもしれませんね。
 盛り上がりたいから盛り上がっている、この際話のネタなんてなんでもいいわけですよ。やりとりの結果笑うのではなく、笑いたいから笑うんだ。
 つまるところ、自分は何をしなければならないとか、どうにもならない宿命とか譲れないこととか、物語にとって意味のある、えてして堅苦しいそういうことが、団らんの渦中の人たちにとってのみならず、視聴者に対しても、どうでもよくなるというような感覚を、ただひたすら可笑しいだけのこのシーンは見事に"付与"してくれていて、それは大局的に見ればものすごく作品的なことなんでしょうね。
 それは刹那的で逃避に過ぎないのかもしれません。僕は原作を知りません。ただ、このシーンがとても好きなんだということが言いたいだけです。

「やはり日曜日というのは楽しいな」

 真九郎たちのやりとりをほとんど理解してないくせにそんな述懐をする紫の、だからこそ混じりっ気のない大切な気持ちを、五月雨荘の面々が馬鹿らしいほどのアホらしさで今まさに育んでいる、いとおしんでくれている、そんな健気な心意気が胡散臭さとかわざとらしさと無縁でいられるのは、この作品がプレスコ収録だからなんだろうなあ。

「紫も食べてー!!」

 ごふぉぁっ!(吐血)

忍法忍者ぐうたら育成論

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 まさに一網打尽。そんな忍者ライフ。
 暇さえあれば時計塔3階でこうしてアラームどもを焼き殺しているわけです。
 今は92の90%、きっと日曜日中には93レベル。jobはちょっと前に上がって67。さすがにパーセンテージの上がり方は厳しくなってきましたが、きっとこのまま篭もり続けるんでしょう。そしてオーラを目指すんでしょう。
 忍者の場合、光ったからといって転生できるわけでなし、jobを上げたところで、使い道のなさそうな水属性スキル・水遁に趣味で振っているだけだし、得るものは何もないんですが。まあ「他にやることもないから、やる」で済まされる自分の性格、つまるところ、なし崩し。
 それにしても、忍法系忍者の育成は一般の魔法職と比べると格段に安定性がありますね。何しろ狩りの途中で鯖缶食らっても死んでいません。まあ、アラームの2匹や3匹たかが知れているという気も、これが監獄とかだったらそう強がってもいられないんでしょうが。
 物理攻撃を3回まで無効にできる空蝉があるし、GvG参戦上必要に迫られVitを素で64まで上げていて、MHPは7k近くありますからね。よほどのモンハウにでもボコられない限り、そうそう死なない。
 それもあってか、攻撃を食らうことを前提とした狩りをしやすいということも、忍者の安定性向上に寄与していると思います。Wizや教授だと、立ち回りに失敗してアラーム集団に追いつめられると、早晩ハエかテレポートで脱するしかなく、攻撃を食らうことを前提とした狩りなんて考えられないでしょう。敵を容易に近付けさせないためにクァグマイアがあるのですから。
 それに引きかえ忍者の場合、追いつめられたとしても空蝉を連打していれば上手い具合にアラーム集団から離脱する可能性があります。そして飛ばされた場にすぐさま火炎陣を張って、集団をその網に誘導しつつ空蝉を掛け直せばいいのですから。立ち回りに失敗してアラーム集団に追いつめられたとしても活路はあります。
 ましてや、ライドワードやミミックは龍炎陣のダブルアタックでしか倒せず、つまり敵の攻撃を受けて空蝉でバックステップすることを前提に攻撃を組み立てていかなければならないわけで。自然、敵から攻撃を食らうことに心理的な?耐性がついてくるのです。
 もちろん、プレイ上手な魔法職であれば、突然至近に敵が湧くというような事態に陥ったとしても、冷静に対処することができるでしょう。それにエナジーコートもあります。しかし、敵からの直接物理攻撃をかわしつつ先制攻撃するというのがプレイの基本であるがゆえに、攻撃を受けた後にどう反撃するかという事態をあまり想定していない、事実攻撃そのものにほとんど耐えられない魔法職にとって、敵が自らに牙を剥き赤数字をもぎ取られているという状況に、多少なりとも焦るのを抑えられないでしょう。
 しかし忍者の場合、敵の攻撃に触れても後ろに跳ぶだけで被害はなく、むしろ適切な距離を稼げてだラッキーと思ってしまうほど。ましてや、敵が突然脇に湧いたとき、機敏に反応するのも億劫なので、そのまま操作せず、敵が攻撃を仕掛けてきてバックステップしてからゆっくり火炎陣を張って反撃、などという横着もよくします。まあ、この狩場がもはや温いというだけなんでしょうが。
 ただ、優れた防御性・安定性の代償として忍者が失ったものは、魔法攻撃力だといえます。ストームガスト、メテオストリーム、ロードオブヴァーミリオンといったWizの範囲大魔法に当たるスキルが忍者にはありません。もちろん、龍炎陣や朔風は範囲攻撃であるにはあるんですが、範囲は狭く、あるいは癖があって、何より詠唱時間の割に威力が極端に低い。
 1回ごとに烈火石などの触媒(有料)を消費するのにも関わらず。龍炎陣Lv10を初めて放ったときは、ひどく落胆しつつ悟ったものです、「しょせんは一次職か」と。龍炎陣に関しては、炎系のスキルでどうせ触媒を消費するくらいなら、龍炎陣を使わず火炎陣を敷いてじりじり焼いていった方が、敵に与えられるダメージ総量は上です。まあ、時間はかかりますけどね。
 そういうわけで、良くも悪くも忍法系忍者には火炎陣と空蝉しかありません。
 敵のタゲを取ったり火炎陣に焼かれているときの追加攻撃用に、単発にしては威力が大きく詠唱時間も短い氷閃槍1Lvを使ったり、狭い場所やたまの気まぐれで龍炎陣を撃ってみたり、攻撃のバリエーションとしてはその程度のものです。
 ただ、使えるスキルが少ないもののそのスキルがとても"使える"ということ、ゆえにプレイスタイルがわかりやすく安定性もあるということで、僕のような惰性でラグナロクオンラインを続けている、向上心も他プレイヤーとの交流意欲もない根っからの引きこもりソロプレイヤーが、暇つぶし程度にプレイするにはもってこいの職業なんじゃないかなと、最近では思っていたりします。
 拡張一次職という中途半端な位置づけも、「大きな子どもたち」みたいで自虐っぽく微笑ましいですしねwww

極上に変身!湯どうふ大革命

 気がつけば、冬はとうに過ぎ去り跡形もなく、今は春まっ盛り。むしろ季節は夏の気配をそこここにしのばせているようで、思わず長袖のシャツの袖をめくりあげ、暑いの苦手な僕を早くもげんなりさせています。
 それでも、未だに週に2・3回は食べている僕の大好物・湯豆腐について、良いレシピを発見したんでここに書いておこうと思いました。
 前に書いたかもしれないけど、湯豆腐は天ぷらと並んで、僕が調理することのできる好きなメニューなんですよ。調理というほどのものでもないんだけど、何しろそれほど材料費がかからない上に上手に作ればどこか高級な感じがするでしょ。それがいい。
 似非セレブ? もしくはなんちゃってセレブ。セレブ(笑)でもいいかな。いや、もうセレブという言葉から離れよう…。
 それで、肝心のレシピはNHK「ためしてガッテン」の2月20日放送分でやっていたものです。これを録画してあったのを先日見て、なるほどと思ったんですね。
 それまでは土鍋に水を注ぎ、切った豆腐を入れてからガスを点けて、沸騰したら出来上がりという風に調理していたんですが、それは湯豆腐ではなく煮豆腐だと番組は指摘するんです。
 そして、達人の手際を科学的に分析することによって、「外側はプルプルフワッと(70℃前後)、中が大豆の甘みたっぷり(50℃前後)」こそ「極上の湯どうふ」であると定義。それを家庭で実現するための調理方法を教えてくれました。

ガッテン流湯どうふの作り方(豆腐2丁分)
1, 土鍋で1.5リットルの湯をしっかり沸騰させる
2, まず火を消す
3, 6等分に切った豆腐2丁分を入れる
4, フタをして5分で完成!

 沸騰したお湯、しかも火を止めた状態で豆腐を入れ再点火もしないとは…。普通思いつかない、おみそれしました。
 さっそくウチでも試してみたところ――。
 ま、まあいつもより美味しいような気がするかも? なぜ疑問系。確かに豆腐の温度は熱すぎず冷めすぎず最適のものでしたが、「プルプル感」とか、「フワッと感」と言われてもねえ。
 つーか湯豆腐の味をコメントできるほど僕の舌は肥えちゃいないし1丁40円カリフォルニア産大豆使用の絹豆腐じゃたかが知れてるだろ。
 とりあえず、これが美味しい湯豆腐というものなんだと、設定することにします。それに作り方的にも従来よりいくぶん手間が省けてますしね。
 皆さんもどうですか。湯豆腐。それにしても、今日は蒸すなあ。

GIGABEATが真の姿を現した

 そういえば、見なくなっていたアニメを最近再び見始めました。
 TOSHIBAHD-DVD撤退とはいっさい関係なく、TOSHIBA製のHDDレコーダーが2年ともたずして壊れてしまって、けれど買い直す金はないし今さらビテオデッキで録画する気にもならず(一度巣立ったひな鳥はもう巣には戻れないように、アナログ画質には耐えられない)、とはいえニコニコ動画でチェックするのも面倒だし最近は削除も早いしで、アニメをすっかり見なくなってしまっていたんです。
 具体的に言えば、「灼眼のシャナ?」でヘカテーまがいの転校生が現れてUGとイチャイチャし始めシャナと一美が共同戦線を張る辺りから、ぷっつりと。まあ「バンブーブレード」は全話ニコニコでチェックしてたんですけどね。
 でも、先日ひらめいたんですよ。こう、ピピピと電波らしきものが届いたんです。
 「TOSHIBAのHDD&DVDレコーダーが壊れたなら、TOSHIBAGIGABEATで録画すればいいじゃない」と。
 すげえ忘れてた。GIGABEATでタイマー録画が出来るんだった。ひょっとして僕、バカ?
 しかも、以前試してみたときは届かなかったTVKも、今はなぜか受信できるようになってて、だから地上波に関する限り問題なく全てのチャンネルを録画できるし、つまりアニメを視聴できたんですね。まったく損したわ。
 また、ワンセグ放送なのでアニメでも字幕表示されるというのも理解しやすく助かります。まあ日本テレビTVKのアニメは対応してないんですけど。携帯機器なのでどこででもアニメを観ることができるというのも素晴らしい。まるで僕には過ぎたアイテムです。なんでこんなの持ってんの?
 しかしGIGABEATのタイマー録画機能に気づいた(というか思い出した)のが4月の下旬に入ってからなので、4月期の新アニメは第3話か、4話くらいからになってしまいましたが。途中から観始めてもそれなりに楽しめるのがTVアニメクオリティ。やはりアニメはいい、オタカルチャーの本流だよね。
 ちなみに今もっとも楽しみにしているアニメは、もちろん「コードギアス 反逆のルルーシュR2」ですよ。それはもうボロぞうきんのように堪りません。あとは「xxxHOLiC◆継」と「図書館戦争」あたりが面白めですかね。「RD 潜脳調査室」は音楽が好みだなあと思ったら、平野義久・タニウチヒデキ両氏というNTV版「デスノート」の組み合わせ。どうりで。「To LOVEる」は単純というか、わかりやすいエッチっぽさがむしろ好感。たまにはこういうくだらなさもいいよね。でも同系統と思われる「仮面のメイドガイ」はちょっとあざと過ぎてあまり好きじゃないかな。「狂乱家族日記」は字幕対応してないのが悔やまれるくらい原作未読者を置いてけぼりにする意味不明世界観、ちょっと引いた。ローゼンメイデンの銀様っぽいヒロインが出てくる回で、酷いことしてんのにあっさり改心して家族だとかいい出して、ちょっと待てよって感じ。「我が家のお稲荷さま。」も同じく原作わからないとついていけない部分はあったけれど、こじんまりとしたお話だったし、何より岩崎良明監督・吉田玲子シリーズ構成ということで、外せないかなと。「絶対可憐チルドレン」はそんなに面白くないけど前番組に比べればはるかにマシ(というかまっとう)なので、観てます。「しゅごキャラ!」は最近あのノリをそこそこ楽しめるようになっている自分がちょっと嫌だ。しゅごキャラ的に言えば断然スゥ、二階堂なんかに渡せない。「COMICピポパ」もとい「ネットゴーストPIPOPA」は瀬川泉ファン的には外せないこともないかもしれません。「紅kure-nai」は…紫かわいいなあ。何も躊躇うことなく一緒にお風呂入ってるとことか、俺大絶賛。オチ的にカミングアウトするけど、今いちばん楽しみにしているのは実は「おはコロシアム」内「ペンギンの問題」だということは、どうかオフレコでお願いします。というか「BLUE DRAGON 天界の七竜」とか「家庭教師ヒットマン REBORN!」はもう観たくないんだ。いい加減三浦ハルを主人公にした魔法少女モノに改正してくれませんかね? ひ弱で甲斐性なしだけど実は宇宙の王子様という設定のツナがピンチになるとどこからともなく駆けつける謎の美少女魔法使いハルの正体は日頃からツナを脅えさせる最凶ストーカー。「ケロロ軍曹」は能登成分補充用(予備)。それ以上でもそれ以下でもありません。
 ちなみに主題歌関連では特に魅かれた曲はありませんでした。
 以上です、編集長。

アニメ主題歌、その好ましき他人行儀

 アニメの主題歌というものは、それぞれ作品に合うとか合わないとかいう好みの問題よりもまず、作品にとってある程度"他人行儀"であるべきなんだろうなと、最近思います。
 それが原作付きで、原作ファンのためだけに制作されたアニメであるなら、遠慮することなく該作品らしさをいっさい疑えないほど濃密な主題歌を備えつければいいのだろうけど。原作を知らない、その作品に初めて触れるという視聴者も目論んでいて、彼らが「どこから入ればいいのか?」と、入り口部分から迷ってしまったりしないように、誰にでも分かる言語で表示された案内板という意味合いが主題歌にはあるんだと、僕は思うんですよ。
 誰にでも分かる言語。それはつまり最大公約数としてのJ-POPであり、その時々の音楽的流行の最先端、とまではいかなくともその潮流には決して逆らっていない程度の感性で制作された楽曲、またはアーティストであることがアニメ主題歌には求められ。楽曲のクオリティやそのアーティストの有名度、はたまた好き嫌いの問題を気にするよりもまず押さえておかなければいけない、パッケージを開けるときに「ここから開く」とプリントされた部分のようなものです。
 それがCDセールスを目的とするありふれたタイアップ戦略でしかないのだとしても、視聴者にとってひたすら白けてしまう類の"がつがつ"した商売だと切って捨てられないとしたら、その主題歌を、何だかんだいいつつも、初めてその作品に触れる視聴者と同じ場所に立っている、似通った状況から該作品をイメージしているということについて、それなりに頷けるものを感じているからでしょう。
 この際まず間違いないのは、作品において視聴者がたいてい最初に触れるのが主題歌だということ。最近は第1話で主題歌がかからない作品も増えているけれど、とはいえアニメの第1話で明らかになる事柄なんてたかが知れていて、物語も人物像もただの端緒でしかない。それは女の子と初めて会ったときのようなもの。
 初対面の第一印象がその後その人との付き合い方を大きく左右してしまうように、主題歌の重要性は言を待たないけれど。その第一印象にとって、初対面であるがゆえに相手の人生や人格の作用はあまりに貧弱で(初対面で人生や人格が全開バリバリというような人はむしろ嫌だ)、それじゃあ第一印象とはなんなんだというと、態度であったり、たたずまいであったり、そういう漠然としていて全身的な感じ取りであるわけです。
 第一印象が好ましいという場合、それは相手の態度やたたずまいが自分の理解できる、あるいは自分の感性と似通っているということであり、個性を感じさせるというよりも、共感できるという意味の親しみやすさが大きいでしょう。ゆえにアニメ作品でいう第一印象とは、名実ともに主題歌が担っているとみるべきでしょう。
 そしてアニメは一話毎律儀に主題歌を忘れない。その好ましい他人行儀さは、どれほど親しい間柄であってもきっちりとした挨拶を欠かさず、どれほど簡素な食事であっても「いただきます」「ごちそうさまでした」を怠らない、背筋のぴんとした心配りのようで。
 その、僕個人としての好感は、好き嫌いでなくアニメ主題歌という態度、たたずまいそのものへの微笑ましさに繋がってゆきます。好きなアニメ主題歌があるのではない、アニメ主題歌というものが好きなんだと。
 僕がアニメ主題歌というものにこうも魅了されてきた理由。それは「出会う」ということなんですね。
 そして、今放映している「反逆のルルーシュR2」にしろ、「家庭教師ヒットマンREBORN!」にしろ、1st主題歌の「COLORS」(FLOW)「Drawing Days」(SPLAY)が一番好きで、というより2nd以降の主題歌をどれもこれも受け入れがたいのは、そういうケースがこれまでも多々あったのは、曲の出来不出来とか好き嫌いとかをひっくるめて、それでいて関係なく、初めて好きになった理由をそう簡単に捨てられないからだと思うんです。
 一途というか、不器用というか。僕が好ましさを抱いている他人行儀さや、律儀さというものは決して変節しないことだと思っているから――ですかね。