無知なるファンの劣等感、原作ファンのつらさ

コードギアス 反逆のルルーシュR2」が面白いですね。特に最新の6話など、アクロバティックな空中戦闘というだけでも目の覚めるほどエキサイティングなのに、まるで競うかのように物語も2倍速みたいに疾走。しかも毎度毎度よくもまあと感心させられるくらい衝撃の展開を用意し、それでいて各キャラクターの個性や人物関係をきっちり織り込み、さらにはサービスシーンも忘れないという、この隙のない"手練手管"はどうでしょう。
これぞエンターテイメント。これぞ「コードギアス」。先が読めない面白さというものを久しぶりに味わっているような気がします。振り返ってみて「これは無難か」とか「結局王道だったな」と思うことすらないのだから、大したものです。
それに、この「コードギアス 反逆のルルーシュ」というアニメが巷にあふれている原作先行の作品でないこともうれしい。それは全てのファンが平等に楽しめるということ。知識差もせいぜい雑誌等でチェックしているかしていないかの違いだろうし、そんなものは最新話を見れば解消しよう程度のものです。
まあ放映前に映像が流出したとかいうような話を聞きますが、それはそれとして、アニメがオリジナルであるからこそ情報に格差が生じないんですね。原作というバックボーンがないのにも関わらず、世界観や登場人物はかなり重厚で、メカなどのディテールにもこだわっている。それなのに視聴者は毎週日曜日の午後五時、知識的に"素っ裸"の状態で楽しみにしていなければならないわけです。オタクとしてはなんて屈辱的でエキサイティングな体験であることしょう。
――原作つきのアニメは原作を越えることができない。あるいは原作とは別物だという指摘をよく聞きます。それはその通りだと僕も思います。けれど僕が納得いかないのは、原作ファンが、アニメ化された作品を「原作では〜だった、アニメはその点ダメだな」といっぱしの批評家面して貶すようなことを、原作ファンにだけ許された特権だとでも言わんばかりに、さも得意げに行っているということです。
本当に原作のファンで、その作者のことを応援しているのなら、少なくとも大っぴらに貶しちゃダメでしょう。僕はマンガや小説を読まない人間なので、原作つきのアニメであっても原作を読まずに視聴するケースがほとんどです。そんな僕がけっこう面白いと思って観ているアニメ作品を、原作ファンだと名乗る人物が批判しているのを見かけてしまうと、僕の感じていた面白さが少し色褪せてしまうんですよ。どうしようもなく、途端に。
情報格差というか、僕は原作を知らない。もしかしたら原作のそのシーン(話)では、僕が感じていた面白さよりももっと面白く描かれているのかもしれない、そしてアニメではそこを上手く表現しきれなかったのかもしれない。わからない。わからないからこそ、そういうものなのかと感じてしまうんですよ。
強いていうなら、70点のテストの成績、自分ではけっこういい点数が取れたと思っていても、母親に見せて「70点? 残念だったわね」と言われたら、けっこういい点数だと思うことはもうできないでしょう、僕は。そういうことです。親と子には保護・被保護という権力的・人生的に歴然とした格差があって、原作ファンとアニメファンには隠然とした情報格差があるということ。それは自分の感じ方を撤回してしまうだけの力があるのです。
「原作のほうが面白く描かれていると思うんだったら、原作を読めよ」と言われるかもしれません。しかし考えてもみてください。「アニメが面白いからこりゃ原作も読むしかないぜ」という場合の意欲と、「アニメがそれほど面白くないらしいから原作を読むことにするか」という場合の意欲を比較したとき、どちらのほうがより積極性を帯びたものになるでしょう。そして、一度撤回させられた面白さを、原作とはいえ同じ作品を改めて鑑賞しよう、正規の面白さを味わってやろうなどと思えるでしょうか。おそらく「そこまでするほどの作品じゃないだろう」と思ってしまうんじゃないでしょうか。
これはあくまで僕個人の場合なんで、一般化するつもりは毛頭ないんですが、程度の差を指摘されることで、本質的なものまでこぼしてしまうというようなことが、原作つきアニメを視聴する"無知なる"ファンにはありうるんだと思います。そしてそれは誰にとっての不幸かと言われれば、原作ファンになるかもしれなかった"無知なる"ファン本人であろうし、新たなファンを獲得するかもしれなかった原作者も含まれるかもしれません。作者はきっと、自分の作品のファンがひとりでも増えることを純粋に嬉しく思うものなんでしょう?
ここに至って、原作ファンとは作者を応援するものではないのか、作品さえ面白ければそれでいいのかという、深刻かつやるせない疑念が浮かんできます。僕が深刻かつやるせない気持ちになっても、致し方ないことではあるんですが。
これが「コードギアス」であれば違います。もしこの作品を貶すような視聴者がいれば、僕は機会を見て反論を試みるでしょう。それでも相手に理解してもらえなければ、「そういう見方もあるのだな」と引き下がるだろうけれど、それでも僕の「コードギアス」を面白いと思う部分はまったく損なわれはしない。損なわせない。これはまさに情報格差がないゆえ、劣等感がないゆえの「僕が面白いものは誰がなんといおうと面白いのだ」という矜持です。
情報格差がない平等、それは誰も持っていないという意味での平等であり、ましてや衛星やOVAでなく、全国津々浦々ほとんどの誰もが視聴できる地上波で放映し、しかも放映後24時間はネットで無料視聴できる。これはもう完璧な、完膚なきまでの平等さですよ。万歳したくなるくらい。
ああ、なんか話がずれてきているな。これではただの熱烈な「コードギアス」ファンじゃないか――。
つまり僕が言いたいのはですね、もちろん原作つきのアニメを原作ファンが視聴するなということではありません。それこそオレ何様です。けれど観ると決めたら覚悟を決めて、良かった点だけを指摘するよう心がけましょう。原作ファンでしか知りえない"こだわり"を提供しましょう。それでいて原作と比べるような物言いは極力避けましょう。
そして、あらゆる配慮を惜しまず、それでも我慢ならないくらいそのアニメがひどいものだったら、自らの矜持にかけて貶したくて仕方がなくなってしまったら、何も言わずにそのアニメを視聴すること自体辞めてしまって、アニメ化されたことそのものを忘却するために原作を読み直してみてはいかがですか。つまりそういうことです。
僕にしては珍しく好んで読んでいたライトノベルのシリーズに、「キノの旅」があります。これがアニメ化したというのは、きっと多くの方が知っているかと思います。映画化もしたんですよ。で、ちょっと前にこの1巻をレンタル店で借りてみたんです。観てみたんです。けれど2話の途中で停止し、そのまま返却してしまいました。
あれは、なんというか、体質にあわなかったというか。身体が"ゾクゾク"ってしてしまうくらい、ダメでした。キャラデザの粗さとか、モトラドの声とか、「キノの名言」みたいにわざとらしいテロップとか…。
このエントリーの内容からするとこんなこと、書いちゃダメなんですけど、これまでだって「絶対書かない」と心に決めていたというのに。ごめんなさい、具体的な事例が必要かと思い告白させていただきました。今試しに「キノの旅」のアニメ版の感想をググってみたんですが、面白くないという感想は見つかりませんね。もしかしたら、単に僕が原作つきのアニメを原作ファンとして鑑賞するときの態度、というかスキルが備わっていなかったのかもしれません。それは、ありえるな。
原作ファンがアニメ化された作品を視聴するということがこんなにも辛いことだったなんて、僕はこのとき初めて知りました。原作ファンには原作ファンにしかわからない辛さがあるのだと。それでも観たくなる気持ちというのもまた、理解できないことはない。
ああ、何が言いたいのかよくわからなくなってきました。
ただ、かつて僕が原作のファンで、その原作がアニメ映画化決定と告げるアニメ雑誌の表紙を見たときの狂気的な衝撃。徳間ホールで試写会を観終えて、そこからどうやって駅まで戻ってきたのかよく覚えいないという恍惚。「耳をすませば」というそんな幸せすぎる記憶が、マンガ・小説を滅多に読まないことよりも深刻に、原作つきのアニメを原作ファンとして"ひとかど"に鑑賞するための適正な経験を阻害しているのかもしれません。
単純だから、困難で、楽しいにとりとめはないから、結論もありません。長々と書いてきたけれど、どこまでも個人的な話です。