金田一少年のきめセリフ、「じっちゃんの名にかけて!」を、「じっちゃんのナニかけて!」と読み違えてひとり大笑いしてしまう穏やかな日曜の朝。

先日、ヘンな夢を見たんです。
当世、妙な風俗店が流行していました。それは女性相手に2人麻雀をして、その点差によって"していただける"風俗内容が変化するというものです。女性をハコることができれば生本番、点差が少なくなるに従って"やさしい"サーヒスに落ちていき、引き分けで抱擁、挑戦者が負けると握手、ずいぶん負けると半径1〜3メートル以内から離れなければならなくなり、ハコってしまうと400cc或いは成分献血をしなければならなくなります。
僕はあるうららかな昼下がり、その風俗店へとやってきました。指名するでもなくとある女性が部屋には居て、僕が卓前に腰を下ろすと、彼女はおもむろに麻雀セットを卓央でひっくり返します。
けれどそれは麻雀ではなく、将棋でした。歩やら金やら書かれた駒がかしゃりと音を立てて散らばります。「おかしいなぁ」とばかりに女性は部屋中を探しますが、どうしてか麻雀セットは見つかりません。ついには埃だらけの百人一首が出てくる始末。
そこで僕は提案しました。
「ちょいとお嬢さん、ここはひとつ百人一首を使って勝負してみませんか。もちろん『坊主めくり』です。坊主をめくる度にめくられた方が着衣を1枚ずつ脱いでいくという、そういう流儀です」
「で、ですが、それはお店の規則にはないので……」
彼女はついに部屋を出て本格的に麻雀具を取りに行きました。部屋にひとりとなった僕は、手持ちぶさたに部屋に散らばっていた本を漁りだします。するとその中から興味深い本を発見しました。
「第一次性徴期における少女の心身変化」と題されたその学術書は図画もふんだんにずいぶん厚めの書物でしたが、特典のフィギュアが入っていたと思われる巻末の箱は空っぽでした。少し残念に思いながらも僕はその本を自らの手荷物であった紙袋に押し込みます。(その中には同人ショップに売りに行こうとしていたつまらない同人誌が十何冊か入っていました)
そうしてから、僕はさっさと部屋を出、居間らしき部屋で炬燵に入っている店主(老女)に二言三言苦言を呈し、「金は払いませんよ」「ええ、このたびは誠に申し訳ありませんでした……」とのやりとりを最後に、店を辞したのです。

日曜の読売朝刊社説がちょっと気になりました。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060204ig91.htm
公園にテントを張り不法占拠しているホームレスに地裁が『住所』を認めた判決について。「あまりにも形式にとらわれた判決」と疑問を述べています。しかしそういった疑問自体が甚だ形式的で机上のものだと思うのです。
「住民登録がないと、選挙権が行使できず、国民健康保険や旅券の交付も受けられない。まずは公園から退去し、生活立て直しへの一歩を踏み出してほしい。行政も、ホームレス自身の自立に向けた意欲を促す支援に取り組む必要がある」
この論説の結論は全く反論のしようがないものです。いちいち論を起こすまでもなく当たり前のことです。しかしホームレスが選挙権を行使できないという事態は、「ホームレス自身の自立に向けた意欲を促す支援に取り組む」べき「行政」あるいは立法を選挙を通して監視し、意見表明し、民主主義の主たる一端として参加する機会そのものを奪うものではありませんか。
そして、人間は貴貧問わず生活せずにはいられない存在であるからには、「生活の本拠」とは権利の有無以前の事実そのもの。法律に違反して営業していた店舗は、たとえ強制撤去されたとしてもそれまで営業していた事実を法的に否定することはできません。現実はそれとして認めつつ、将来にわたって違法行為(状態)を是正する法律行為を担う、正当な行政とは、当該店舗営業者が選挙権をもち、自らが選んだ民主主義であるからこそ認められ、かつ受け入れられるものなのだと考えます。
ひるがえって、ホームレスは選挙権を行使できない状態にある。住所についての喧々諤々な議論よりも、住所がなければ選挙権が行使できない、幾ばくかの金銭がなければ取得できない住居がなければ住所が得られない、つまり金銭がなければ国民の権利が行使できないという事実をこそ議論すべきでしょう。ホームレスにとって公園が「生活の本拠」であることが主体的にも客観的にも認められる以上、それが違法なもので将来にわたって是正され除去されなければならないものだとしても(当然そうですが)、そのための行政権発動と、彼らに選挙権とその行使を保証することは全く性質が異なることであり、優先すべきは、一定年齢に達した日本国民に等しく与えられる選挙権の行使を彼らに保証することであるはずです。
もちろん、この判決を根拠に靭公園・大阪城公園でのように、行政代執行法に基づいた強制撤去行動を実力で妨害することが許されるわけはなく、また認められるものでもありません。けれど、行政が「ホームレス自身の自立に向けた意欲を促す支援」を充実させるまでの、日本国民として最優先されるべき権利を保証するための暫定的・過渡的措置として今回の地裁判決は認められてもいいのではないかと思うし、少なくとも国民健康保険や旅券の交付、選挙権が与えられたからといって公園を不法占拠する彼らの自立心を直接的に弛めるとは思えません。
ホームレスに「生活立て直しへの一歩を踏み出せ」などと、まるで惰弱を咎めるがごとく催告するのではなく(新聞紙上ではこの上なく無意味で不毛な言質)、貴方が自身の問題として、潔癖な法解釈や空虚な形式論にとらわれることなく、まず「相手の身になって」現実を考え、事実としての現状から体温のある意見を述べて欲しいものです。
ホームレスを、「仕事もせず公共施設で勝手に暮らす怠惰で不潔な不法者」とする感覚的な自身の定義を誰もが徹底的に疑い、「労働する権利を剥奪された被害者」として救済すべき者であるという理知的で正当な再定義を行う。その上で、自らの意思として怠惰で不潔で不法であろうとする輩に対してこそ、初めて「この惰弱者が! とっとと生活立て直しへの一歩を踏み出せ」という叱咤激励が意味を持つ、体温的であることから逃れられなくなるのだと僕は思うのです。ま、これも机上で無意味なものなんですけれども。