小さな三角公園のベンチに座って遅めのお昼ご飯を食べていたら、役所のアナウンスが聞こえてきました。「小学生の下校時間です。地域の皆さん、子供たちの見守りにご協力お願いします」。確かに僕は地域の人じゃないんですが、ちらっちらっと見守ってはいましたよ。公園の砂場で遊んでいる幼女のぱん○を……。
おまわりさーん。

怠惰な生活を長く過ごしてきた身としては、「うたわれるもの」をあらすじで追うことしかできないのにまず驚き(「ハクオロってそんなに偉くなっちゃうのかよ!」みたいな)、食事のことを考えるのが煩わしく、財布の中身に関心が薄くなってることに気づく…。それはいいとして、平日でもアニメを2話程度見られる余暇時間はあるのですが、そこまで切り詰めて観たい程のアニメはないから、とっとと寝ちゃうわけで。いやはや、睡眠ほど幸せな時間の過ごし方はないですね。この年になって初めて知りましたよ。
仕事のことはさすがに書けないし、仕事以外のことでは大したこともないから書かない。そこで「ブログって何なんだろう…」ということになっちゃうわけです。とりあえず、週末の"消化試合"計画を綿密に練るために用意された平日というスタンスでお願いしたい。そんな最中、日曜夕方〜夜のゴールデンタイムを無条件でごっそりもっていきやがるラグナロクオンラインのGvGも、いい加減考えモノだよなあと思ったり思わなかったりするでもないような今日この頃。とはいえすっぱり卒業するには責任もしがらみも無邪気で済まされないのですがね…。

通勤用の携帯音源に、先日感想を書いたCDのほかに「Wind -a breath of heart-」のOPとEDを入れていたりするのです、なぜか。特に「Dream」を聴いていると、車窓から覗く景色が妙に印象的に感じられてしまって、心が落ち着きます。映像が音楽と結びついていて、その音楽を介して、リアルの景色にかの空想的な感慨を再現しているよう。そもそも新海さんの映像センスが、虚構にあってリアルのぎすぎすした感傷が充溢しているのですから、そんな"混同"もやむを得ないところでしょう。
そうだ、今度は「笑顔」を入れてみよっと。

読売新聞の紙面がこの4月から新しくなったんですね。元々の読売新聞(朝刊)愛読者ですから、もちろんここ2ヶ月間毎日欠かさず読んできて、ようやく気づいたことがあります。それは、とっても、とーっても読売新聞がくだらなくなってしまったということ。それまでは生活や福祉に関する、どちらかというと実際的現実的な視点に立った記事内容で、オチに他愛のない観念的な提起をもってくる似非インテリなやり口が生温かくて、好きだったのですが。今の記事は文化面が充実し前面に出てきて、初っ端から観念論で攻めてきやがるので非常に胃にもたれます。似非インテリから中途半端なインテリに"堕落"したようなテイストが妙に癪です。一読では何言っているのかよくわからないというのは新聞として果たして駄目なんじゃない? という僕の見識は見当違いなのかなあ。
というか、"文化"というものはもはや時代がしつらえるものではなく、各々個人がセルフサービスで皿盛していくものでしょう。文化面というフォームがそもそも時代遅れだと思うんだよなあ。
そして、週1の教育面がただの地方校自慢に落ちぶれ、毎日連載化のおかげでテーマ自体が散漫化、教育問題に従前の重みがなくなってしまった。どうしよう、こうして書いてみると耐え難いまでにくだらなくなってる。母親に内緒で朝日新聞とか取っちゃおうかなあ(母親は筋金入りの読売派。テレビ欄しか見てないのにねw)。

猫というイキモノは基本的に馬鹿です。今もベッドの下に潜り込んで出られなくなって鳴いております。いい気味なのでしばらく放っておこうと思いますが。入れても、出られないことに気づいたとしても、その時点では大抵のことはもう手遅れで。ウチの猫は何度嵌まっても懲りずにまた嵌まりやがり、僕は僕で「ブログに書くことがない」とブログに書いている時点でもう出られなくなっているってことなんだよなあ…。