tsukimori2006-07-31

そういや、壊れたイヤフォンはまだ買って3ヶ月も経っていなかったので、修理に出すことにしました。
見ず知らずの人の装着した(耳垢ついてるかも)イヤフォンを修理するのも嫌だろうけどね。仕事だからちゃんと取り組んでよね、無料だけどね。

パート仲間に何か吹き込まれたらしく、「粗品を全然くれないから辞める!」と母親が突然、購読新聞を読売から朝日に乗り越えやがりました。新聞なんてテレビ欄しか読まないだけに、粗品目当てで新聞選んでますマイマザー。というか僕のコボちゃん返してよ! 月森さんぷち憤慨。朝日新聞自体あまり好きではないし…。
けれどいざ朝日さんから頂いた粗品の山を目の前にして、僕のコボちゃん愛はあえなく無効化。だって、箱詰め洗剤にティッシュがのっかってるあの画像に収まりきらないトイレットペーパーとか、いくらなんでもそれはやりすぎだろうというレベルです。貴方たちはいったい何を売ってるんですか。
新聞売り上げ日本一にあぐらをかいて、読売さんは油断していましたね。しかしお試しで貰った朝日新聞を読んでみると、やっぱりどこか胡散臭い。批判精神の尖り具合が生っぽいんですよね。朝日だけでは厳しいので、キオスクで読売買うか、いっそ別口で再契約するしかないかも、などと真剣に考えていたりします。
行き:朝日 帰り:読売
ぐうたら自主性なしの人間にとって、新聞ってのは便利なものです。読む本とか情報収集して悩んで選んで購入するのって、面倒じゃないですか。でも新聞は、新聞というだけで、そこにはとっくに読むべき内容がある。僕の興味や関心や文章表現のノウハウについてある程度かなえてくれる。
本というものは、いちど興味をなくしてしまうとなかなか読み進められなくなります。けれど新聞は、興味のない記事は読み飛ばせばいい。記事同士の関連はないから被害は少なく、読まなくても罪悪感やもったいなさを(本ほど)感じなくて済むのも大きいです。一冊単位のテーマがない・少なくとも考えなくていいということの気楽さは、案外手前勝手なテーマを発掘してしまうゆとりを生じさせるものです。
まぁ本に義理立てする必要もないのだけれど。自分の関心や興味に沿った・適っていると想定される本しか、人は選んで買うことはできないのだといえます。自身の関心や興味や期待に応えるものではない本であると事前に分かっていて、人はそれを買うことなどしないでしょうから。
もちろん新聞だって、自分の関心や興味に沿った・適っている記事しか読まない人はいるでしょう。でも僕の場合、株価指数とスポーツ面・テレビ面以外はたいてい目を通すようにしています。これが僕の新聞ルール。それほど興味や関心のない記事でも(例えば短歌・俳句や伝統芸など)(苦痛にならない限り)なるべく読んでいるんですね。だから時間はかかります、1時間ちょっとくらい。
そこから逆に、社会や現象について僕の関心・興味アンテナを"引き寄せる"ことに繋がるんじゃないかなぁと思いつつ。けれど引き寄せた上で特定ジャンルの本を読むようになるという風でもないので、"引き寄せっぱなし"なわけですが…。
新聞だけで完結していては意味がない「本読め、本」とは常々思いつつ、そこから社会へダイレクトに接続したって別に悪いことじゃあないと、多忙の言い訳にしてみたりする今日この頃。新聞を最後まで読み終わって(コボちゃんを味わって)、真っ黒になった指を見てニンマリする。そんなかぐわしい知的達成感も悪くないものですよ。