市立図書館の最上階にある読書室に向かう途中、小さな上映室があって、その扉に掛けられたホワイトボードに、「異臭のする人は他の方の迷惑となりますので入場をご遠慮ください」と記述されているのを見つけました。「ずいぶん露骨な表現するなあ」その場は首を捻りながら、景色の見える閲覧スペースに移動してつらつらと本を読んでいたら、なるほど納得。
ホームレス。
そういえば新聞の記事か何かで読んだことある気がする「図書館のホームレス問題」。臭いし居座るし騒いで他の客とトラブル起こしたり、けれど十把ひとからげに追い出すわけにもいかないから館員さんにとっては厄介極まる存在らしい…。それに季節はめっきり冬、暑いのはなんとかなるけど寒いのはどうにもなりませんからねえ(厚着しようにも服がないんだし)。
ホームレス問題を考え始めるとごっつ気が滅入ります。金属バットで暴力振るえる無邪気な若者たちが正直羨ましいくらい、僕のような半分引きこもりの社会人不適応者にとってホームレスとは決して(排斥すべき)異質な存在ではなく、むしろ虫唾が走るほどの仲間意識を感じさせるもの。異臭がひどいかそれほどでもないか、住居があるかないかというのはホームレスを定義する暫定的な基準に過ぎなくて、正式なものとは、自らの社会性についての最低限の確信なのだと思います。
自分は社会でやっていける、社会に必要とされている存在なのだという認識(慎ましい自負)のゲージが、ゼロになったとき、実体はともかく定義としてはホームレスに分類されるのだと思うのです。
自身の予測可能な明日の姿に対して、蔑んだり忌避したりできるほど無頓着でいられたら、どんなにか生きやすいことでしょう。たとえば歯医者の治療を待つ列で、先に治療を済ませた子が泣いて帰ってきて、それをけらけら馬鹿にすることなんてできません。ケツを蹴飛ばしたりできません。ただ、気が滅入るのです。