大概、大切なことに気がつくのは、もう取り返しがつかなくなったころです。不便なものですね。年を取ってから、色々なことが分かって行く。けれど、それを成すだけの自由は、そのときには失われていたりする。ですが、こんな風に愚痴ることはできるのですから、案外捨てたものでもないのでしょう。

そういえば、茜エンドをクリアしていなかったので「君が望む永遠」をインストールし直して再放送してみる。ついでにまゆまゆエンドもクリア。
ここまでヘタレな主人公を目の当たりにすると、自分が悩んでいる程度(ヘタれている度合い)なんててんで大したことないよなと思えてきて、むしろ勇気づけられます。頑張ろうぜ俺。改めて、「君が望む永遠」は名作です。気が滅入るくらい、すばらしい。

いじめを苦にして自殺をする。
それは決して逃げや諦めというだけではなくて、復讐という面もあるのだということを朝日新聞の投稿コーナー、10代読者の投稿によって思い出させてもらいました。辛いだけだったら逃げればいい、不登校という言葉にすがればいい。そんなことはわかってる。だけど辛いというだけで悔しさを済ませられないから、その場から逃げるだけでは無念すぎるから、とはいえ相手にそのまま仕返しできる手段を知らないから。復讐を、間接的で徹底的な手段を講じることで成し遂げるしかない。
自殺とは彼らにとって、最後にして最強の攻撃方法であり、真新しいプライドを死守することあり、ただ純粋に、人としてあろうとしたゆえの美しくも哀しい結果論が、自死という現象として表れているに過ぎないという気が、してきました。彼らはただ、強く生きようとしただけなんだと思うんですよ。強く生きる方法(心地)がただ、自らを殺すことでしか自覚できそうもなかったんです。
人はいずれ死ぬ、だとしたらその死を最大限効果的に影響させうるタイミングを、人は無意識のうちに図っているのかもしれません。外は雨がしとしと降り続いています。カミカゼは、今も日本に吹いているようですね。