主人公の家庭の味をヒロインは奪う

 家族は「食卓」を通じ、空間や時間、話題、気持ちといったあらゆる面を共有している。大家族ともなれば、よかれあしかれ、さらに多様さを持つ。
 たまの(家族)だんらんでも、「バラバラ食」で、ファミリーレストランのように家族が別々の物を食べている。単品だけしか食べない「ばっかり食い」現象もある。その結果、人づきあいも偏ってしまう。
 調理済み食品は、かつては仕方なく利用するものだったが、今は積極的に選んで買うものへと意識が変わってきている。食べる人のために料理をするというよりも、むしろ日々の食卓をこなすだけ、と割り切っている人が増えているからではないか。*1

 ギャルゲーの主人公は大抵、人付き合いが苦手で、ごく少数の"悪友"とだけ密接な付き合いをしています。そして毎日の食事は母親による手料理ではなく、それどころかほとんど一人暮らしでインスタント食品かコンビニ弁当、しかもその食事はあまり美味しくない、少し寂しい、まさに"こなす"べき食事として描かれています。
 それに対置される形で、相手の機微に敏く誰にでも好かれる性格をしたヒロインは、極端に料理が上手だったり(ときにプロ級の!)、かと思えば極端に料理が下手だったりします(ときに大量破壊兵器級の!)。そしてそういう子は決まって、家族と同居しているために自分の料理を振舞う機会と相手に乏しいものとして描かれています。

*1:4/29付読売新聞

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