プリズマニュース

[03.06.29] 「Prismaticallization」企画・脚本の池田修一氏手がける新作ついに発表される

新進気鋭のニュースサイトCUTTING EDGE(藤沢直弥氏主催)の6/3付記事にて、「Prismaticallization」企画・脚本の池田修一氏手がける新作が、アークシステムワークスファンクラブ[HYPER]発行の会報にて発表されていたことが明らかになった。

気になるタイトルは、『微塵の月』。”Particles of the Moon,or Prismaticallization speculative.”(月の粒子[微塵の月?]、あるいは思索的なPrismaticallization)というサブタイトルが付され、プラットフォームをPS2に、2003年発売予定、価格は未定、とのこと。
企画・脚本・プログラムに池田修一氏、作画・井上巧氏、作曲・石渡大輔氏、作画・作曲はアークシステムワークスの看板ソフト「Guilty Gear XX」スタッフが当たるようだ。ただ、「音楽は詳細未定」と現時点では発表されており、「Prismaticallization」のOP/EDを演奏したWater Clock再起用という可能性もまだ残されてはいる。
ジャンルは「Particular Relational Adventure Game」、特殊な関係性(を主軸とした)アドベンチャーゲーム、とでも訳すのだろうか。「外見は前作同様慣例化した形になる」としているところをすると、タイトル画面やプレイヤーによる操作を含めた深いゲーム性・ゲームデザインの潔癖性は、前作同様保持されるのだろうか。
「構造に(前作との)類似性はあるがルールが異なる」、つまり前作でいう”記憶”に変わる”何か”(それは従来作品における”選択肢”に該当するもの)は今作にも存在するが、その取り扱い方は異なるという意味だろうか。池田修一氏が、前作で見事捨て去った”選択肢”というプレイヤー・デバイスを今さら復古させるとも思えないし、プレイヤーがゲーム・システムに参加する装置として、より斬新で新奇で、誰も想像しなかったような”何か”を出してくるのはほぼ確実だろう。
まあ、「以前ほどの手間が要求されることはない」という部分は、プリズマファンなら軽く笑っておこう。前作のファンが池田修一氏の新作に「攻略の容易さ」を求めているはずなどないのだから。いや、前作で浴びせられた批判を元にクリアのしやすさを求めた結果、ゲームデザインにある種の「妥協」が入り込んでしまうことこそ、ファンは危惧しているはず。勝手な期待ではあるが、ゲームをプレイする者としてのプレイヤーとしての利便性など省みず、ゲームシステムの一部としてのプレイヤーとして、ダイナミックにシステムの内奥に組み込んでいって欲しいものだ、僕たちを。
「シーン毎に分断された離散的な編成になる」「基本進行は理解を容易にするため時系列に沿う」、ここまできてなんとなく推測されるのは、「シーン毎に分断された離散的な」数多のストーリー・ピース、それ自体が前作における”記憶”に当たり、その取捨選択によってゲームを進めていくようなシステムなのだろうか。「Missing Blue」(PS2/2002/tonkinhouse)級の膨大なシーンが離散的に編成されたそれをプレイヤーが恣意的に組み合わせて自らストーリー(解法)を作り上げていくシステム、考えただけで気が遠くなりそうだが。ただ確かなのは、「Prismaticallization」のように1回プレイが1循環という単純な循環モノではなさそうだということか。
「(前作とのストーリーの繋がりは)ない、ゲームの構成が違う以上は世界観も異なる」、ゲームの構成(システム・ゲームザデイン)が世界観を規定するという発想こそが、僕らを麻痺させるゆえん、池田修一かくありき(←褒め言葉)。「登場キャラクターは主人公1人、女性5人、男性1人」、前作とのストーリー的な繋がりはないとのことだが、登場キャラクターの編成は前作でのそれを踏襲しているようだ。「(音声は)ない」、断言、プラットフォームをPS2に移した上で音声なしとするのは、容量的な問題は考えられないだけに、池田修一氏のこだわりなのだろう。考えてみれば、前作で選択肢というゲーム(ストーリー)進行上の既定的な”押し付け”を忌避した、ゲームシステム思想が、声優の吹き替えというイメージ上の”押し付け”を避けさせているのかもしれない。まあ実際は、少人数のスタッフで、できるだけ金をかけずに制作したいというメーカーの意向なのだろうが。
さて。現時点で公表された情報を筆者が邪推的に解説させてもらったが。貴方はいったいどんなゲームを思い描いているのだろうか。プリズマを知る者の多くに大きな衝撃をもたらした今回の『微塵の月』制作発表、池田修一氏再起動の事実、1999年より4年の歳月を経て、僕らの脳が再び、活性化する。

[01.12.23] 奇作ギャルゲー「Prismaticallization」企画・脚本の池田修一氏、次回作を語る

雲ひとつない晴天に恵まれた2001年12月23日(日)、横浜市中区・産業貿易センターで、約2年ぶりとなる「HYPER DREAM 2001」が開催された。同イベントは、ゲームメーカーアークシステムワークス(本社:横浜市港北区)が主催する、作品の原画・資料などの展示会、同人誌即売会、コスプレ、アーク主催物品販売、ゲーム試遊台など、ファンとスタッフの交流の場ともいうべき内容で、会場にはギルティギアシリーズのキャラクターの勇ましいコスチュームに身を包んだ男女が溢れ、その他多くの女性ファンが埋め尽くす盛況ぶりであった。
そして、午後1時より舞台上で開催された「制作者トーク」には、PS「Prismaticallization」の企画・脚本を担当された池田修一氏が登場(写真)、同作品について語られた。しかしメーカー自ら「多くの非難と僅かな賛辞を呼んだ」と云う同作品、池田氏の「この会場でPrismaticallizationのファンの人いますか?」という問いに対し、会場で手が挙がったのは管理人を含めて僅か4人。この寂しいファン層に気を使ったのか、司会者を挟むことなくあっという間に氏のコメントは終了。
しかしその後に設けられた質問コーナーにおいて、「制作者トーク」開始前、試遊台に設置されていたPS版「Prismaticallization」の澄香シナリオを1時間強でクリアしてしまうという荒業を見せた同作品愛好家某氏が真っ先に名乗りをあげ、「Prismaticallization」の続編及び池田修一氏の次回作の可能性について質問を行った。
それに対し池田氏は、「Prismaticallization」の続編については「ものにはきれいな終わり方がある」とその可能性をほぼ否定したが、ご本人の次回作については「一生使っても足りないほどの構想は(自分のうちに)あるので、機会があれば実現させたい」と、意欲をみせた。 

その他「HYPER DREAM 2001」では、展示スペースに「Prismaticallization」の彩色済ゲーム原画(ゲーム未使用のものを含む)30数点が飾られ、奥のスペースにはクリアファイルに綴じられた企画書(当作品が「Prism」と仮称されていた当時のもの)・未彩色線画・シナリオスクリプトの一部が閲覧可能。ただ、物品販売コーナーで取り扱われていた「Prismaticallization」関連商品はわずかポスター2点(各600円)にバッチ1点(200円)のみ、同人誌に至っては「Prismaticallization」を扱った本は確認できず、わずか1枚ラミネードカード(150円)が売られているだけというお寒い状況ではあったが、企画書に使用されたデフォルメキャラのユーモラスな可愛らしさを堪能できただけで、ファンとしては大満足だったのではないだろうか。
ちなみに、池田修一氏の人柄について別のスタッフの方に尋ねたところ、「20代後半の、頭の凄く切れる人」という回答をいただいた。また、同会場で売られていたアークシステムワークス・スタッフによる同人誌「HYPER COMIC」(500円)には、池田修一氏による線画が掲載されている。「はだか自転車というおハイソなコンセプトによる小稿」が「社内一部の反抗に遭い、握り潰され」た絵、「はだかランドセルというスピリチアルなモティーフ」が「きわめて高度な政治的力学により、断念せざるを得なかった」「その残照」の絵他1点、氏の独特なキャラクターを思われるヘタレなギャグセンスに意表をついた萌え心、奇作「Prismaticallization」”生みの親の本質”を垣間見たような1ページであった。