猫の目 ヒロインの目 プレイヤー(僕)の目

猫の目はとっても綺麗で、僕が興味本位で見ていると、猫も僕の目を見つめ返してくれて、そして目が離せなくなって、「猫が僕の目を見つめている」という事実に、気も離れなくなります。けれど、そうやってじっと見つめ合っていると、なんだかとっても怖くなります。
最近うちの猫は、僕のベッドでよく寝ています。たぶん我が家で冷房が一番効いているのが僕の部屋だからだとは思うんですけどね(そして、冬は暖房器具を一切使わないからまったく寄り付かない、と)。しかも"彼"は、僕がそのベッドで寝る時間になると、僕の座る椅子の下に潜ってきて、僕の毛だらけの脛に頻繁に頬をこすりつけてきて、「にゃあにゃあ」と、まるで僕が寝るのを急かしているかのよう。
それもそのはず、彼は、僕がベッドの上で仰向けに寝る、その胸の上にうつぶせになって眠るのがことのほかお気に入りのようなのです。以前の様子からするとありえない、にわかには信じがたい話ですが、本当なんです。(http://d.hatena.ne.jp/tsukimori/20050206/p3
他の猫一般がどうかは知らないけれど(少なくとも、これまで我が家で飼ってきた猫にそのような習性をもつものはいなかった)、彼は昔からそうすることが好きで、母親や、妹の胸にはよく乗っかって寝ていました。ただ、種族が違うとはいえ仮にも同性同士なのだから、僕に対してはそのようなことをすることはないだろうと、思っていたのに…。
別に僕はそれが嫌というわけではないのだけれど、窮屈さにおいては堪らないものがあって、もちろん一睡もできません。だから仕方なく、彼がお腹がすいたり飽きたりして僕の胸から降りるまで、うつらうつらと猫を眺め、背中を撫でたりしながら無為に過ごしています。むりやり退ければいいじゃないかとも思うけど、腹と腹をくっつけ合う関係というのも、男っぽくていいじゃないですか。それにどうせ僕は寝つきが悪いんだからと、開き直って、こういうペットと触れあう時間をもつのもいいかな、って思うんです。一日中どこかで寝てばかりいる14歳の猫、どうせ余生もそう長くないのだろうし…。
そうして、僕は猫の目を見つめる機会が多くなりました。
猫の目はとても不思議です。黄色いビー玉のなかに奇妙な絵柄の布地の切れ端が沈んでいるような。そのあまりの美しさ、異質な深みに見惚れているとき、どうしてか僕はすごく怖くなってしまって。不意に目を逸らしてしまう。どうしてなんだろう。こんなにも美しくて、途方もない深みのある猫の目。
それは、僕が猫の世界というものを知らないから、怖くなってしまうんじゃないかと思うのです。
よく、「相手の目を見て話しなさい」と言われますよね。それは相手の話を聞くときの態度、相手に対する礼儀を教示した言い草なんでしょう。自分がそのとき何か作業をしていて相手の目を見ることができない状況であったとしても、そこは自分の立場を謙譲し、相手の目を見ることで相手の存在を尊重しなさい、ということ。つまり自分の世界を開いて、相手の世界を受け入れようということ。自分世界の相互通行ルール。
でも僕たちの世代の流儀だと、むしろ相手の目を見ないで話す機会のほうがずっと多いように思います。というより、相手の目を見て話すと緊張してしまって、上手く話せなかったり、どもってしまうこともあったりします。相手の目を見て話さない、話を聞かないなんて相手に対して失礼じゃないか、と思う僕もどこかにいて、だからなるべく相手の目を見ようとは思うのだけれど、そういう事情で、すぐ目を離してしまう。
でも、相手の目を見ていないからといって、相手の話をきちんと聞いていないということでは決してなくて。互いに目を合わせずとも実際はものすごく濃密なコミュニケーションをしていることがよくあります。ドラマにしろカウンセリングにしろ、男女が星空を見上げながら、絡み合った心のひだを束の間取り払った、ひどく透明な会話をしているシーンとか、自然公園の歩道を並んで歩きながら、ふだんはなかなか話しづらい家庭の込み入った事情を吐露したりとか。
相手の目を見ないで、でも相手の傍にいるということが、貴方の世界には干渉しないけれど、貴方の世界は私の世界とお隣同士なんだよ、という不宣誓の同盟通告なんじゃないかと、思うんですね。本当に干渉して欲しいときは、目を見てください、それが救援要請ののろしになります。今日、目を見つめるということの"とっておき"さが高まっているんじゃないかと思うんですよ。
自分の世界というものをいかに守るかというスキルが、流行文化や社会システムの形をとった暗黙知として、人々に対し常に最新ヴァージョンが瞬時に転送されているこの時代。相手の目を見ることが、相手の世界を受け入れるということになるという公式をより鮮やかに思い知らされるのが、僕にとってはギャルゲーのヒロインだったりします。
プレイヤーである僕のことを真正面から見つめてくれるヒロインという存在。それは、僕がヒロインの目を見ることがイコール彼女が僕の目を見るということになる、ということではなく、僕がヒロインの目を見た時点で、その彼女は過去に遡って、僕のことをずっと見つめ続けてきていたということになります。僕のギャルゲー上の現在は、ヒロインに永遠の過去を含めた現在を瞬時に転送させるのです。
ヒロインの目を通してプレイヤーである僕に開かれる、甘くて幸せな恋愛至上世界。恋愛にとって有益なものと、恋愛にとって有害なものが価値観の相対を形成し、恋愛にとって無益無害なものが潔癖に排除された社会。苦しみがあるからこそ甘く、不幸せがあるからこその幸せ。相対的であったはずのそれらが、いつのまにか苦しみも不幸せも概念上の観念に堕し、甘さと幸せが絶対的に、一方的に成立してしまっている、そういうある種の欺瞞に満ちた世界。
僕らはそういう世界を望む瞬間、ヒロインの目を見つめるのです。ヒロインの目を見つめた瞬間、自分世界防御用の最新スキルはたちまち溶解し、僕らの世界はほぼヒロインの世界と同一化します。そして物語においてキスやSEXを"強要"し、ヒロインの目を閉じさせることに主人公が成功したとき、ついにその世界は、プレイヤーである僕の目だけが見つめる世界となります。僕の世界が二次元上(ディスプレイ世界)を侵略し、征服するのです。楽しくおばかでせつなく幸せな、「僕の統べる」「僕の知り尽くしている」世界。
ヒロイン(ギャルゲー)の世界。それはかつては僕の世界でなかったけれども、こうして僕の世界と同一になり、そして僕だけの世界となり、今は僕の世界が彼女の世界を形作っています。次元の隔たりを繋ぐ"萌え"というまなざし。それは、かつて対等な世界同士見つめ合っていたヒロインを、自らのものとすることによってそのまなざしごと"食って"しまうということ。
ひるがえって、「僕の知りようがない」世界、それが猫の世界。猫の目の美しくも奇妙な深みを、見つめることで、いったいどのような世界が僕に流れ込んでくるのか、僕の世界として構築(同一化)されるか、わからない、まったく見当もつかないということの恐怖。それはふだんは通り過ぎるだけの駅に途中下車ぶらり旅するような、同じ世界の知らなかった場所というのではなく、ふだんは吸うだけの空気が酸素や窒素、アルゴン、二酸化炭素、水素や数多の雑菌として見えてくるような、異質の世界(のはず)なんです。
人と人が見つめあうことで干渉し合う世界というものは、あくまで同じ世界の知らなかった場所同士であって、互いの世界を受け入れたり、あるいは送信したりすることは、決して破壊し合うことではありません。破壊的なまでに隔絶した世界同士の邂逅もあるでしょうけれども。
相手と見つめ合うことで自らの世界の変質性が露見し、あるいは完全であるべき自らの世界が変質してしまう恐怖の予感に打ち震え、親を含めた他人を徹底的に拒絶してしまった少年が、「僕の統べる」世界を得るべく、幼稚で凶悪な殺人事件を引き起こしてしまったとします。その犯罪少年の精神鑑定で、成長過程における異常性の予兆行動として、猫の目を刃物でえぐり取るといった異常行動が見出されたとき、そのときの少年の行為の背後にある種の恐怖心が潜んでいたとしたら、それは。
ベッドの僕の胸の上でうつぶせに寝ている猫の目を見つめている僕が抱く、得体の知れない美しさや深みと表裏一体になった恐怖心と、まったく違うものだと、どうして言うことができるだろうと、別の意味で怖くなってしまったのでしたとさ。