ブルマーの社会史

ブルマーの社会史―女子体育へのまなざし (青弓社ライブラリー)

ブルマーの社会史―女子体育へのまなざし (青弓社ライブラリー)

明治以降の近代化の文脈で定着していった学校教育、西洋式教育の導入によってもたらされた身体教育は、男子にとっては富国強兵の根本として自己規律化・体力増進を目的としていたのに対し、徐々に普及していった女子教育の中での身体教育は、儒教的「箱入り娘」の遊戯的位置付けから、国を支える健やかで強靭な子どもを産み育てる「強い母」育成を目指すものへと変容していく。
その過程で機能的な女子体育着が模索されていくものの、明治期に井口あくりによって日本に初めて導入された洋装としてのブルマーは、当時においては日の目を見ることがなかった。
しかし、大正中期に女学生の間で湧き上がった競技運動熱・身体運動の快楽への目覚めが、機能面から女子体育着の洋装化を加速させ、相互作用的に芽生えていった、肌の露出を慎む前近代的強制的女性像(女性的なるもの)からの「軽やかな離脱」願望が、ブルマーを全国の女子体育現場へ一気に普及せていくことにつながった。
脱女性性を果たし(女性性の否定)、(肌をさらす・雄々しく活動するという意味での)男性的イメージへ接近(男性化)することで定着していった、性的「開放」の象徴としてのブルマーは、90年代に湧き上がったブルセラブームを表出点とし、一転して性的「抑圧」の象徴へ"貶められて"いった。
戦後半世紀を経てもいまだ脈々と受け継がれていた「良妻賢母」的女性像のもと、女子の性は親や教師によって管理・指導されるべきものであるという純潔教育が、近代家庭観の希薄化と、「女子高生の3人に1人がSEX経験済」という現実の間に大きな齟齬を生み出していた。「清純であらねばならない」女子中高生の身体にまつわるフィクションと、その性的記号化を(それは従前より内々に進展していたものを)明示的に社会に突きつけたのが、ブルセラブームだった。
身体のラインが見えやすいという羞恥心、しかも強制的に女子のみ着用させられていることへの不満は以前より女子生徒の間でくすぶっていたのが、性的な存在として公式に認知された女子生徒が、履いている、性別を絶対化するブルマーに対してより明瞭な「性的なまなざし」として注がれるようになった。
国際舞台で脚光を浴びている女子スポーツ選手がファッショナブルな短パン姿だったこと、体育教科の学習方針が生涯を通じた運動意識の養成に変更され、ブルマーの機能的長所にこだわる意味がなくなったこと、そもそも、機能的であるブルマーはその"ぴったり度"によって、過度の運動が下着をはみ出させる危険性、あまつさえ根元まで露出する太ももをできる限り隠したいという意識が、着用者をして機能的でなくしているという現状、さらには少子化による学校間の競争激化・サービス産業化による学校-生徒間権力関係のゆらぎ。
これらの複合的要因によって、それまで学校側が女子生徒にブルマー着用を義務付けていた根拠、学校集団としての統一性・規律維持という目的、機能性の強調が形骸化し、「時代の流れ」という当たり障りのない理由によって、ブルマーは、短パンへの急激な移行(上書き)の陰で廃絶させられていったのです。
メディアによって白日の下にさらされることとなった、彼女たちの抜き差しならないエロス、その"早計な"外性器を覆い隠すブルマーを格好のスケープゴートとして、あるいは決して開けられることのないタイムカプセルとして、仕立て上げ、埋め込み、教育の埒外に追いやっていった学校側、あるいは「性的なまなざし」所有者たちは、もしかしたら、本当はまだ有効であるに違いない純潔教育への未練、なんだかんだ言ってまだ彼女たちは清純に違いない(だって、3人に1人が非処女ということは3人に2人は処女ということじゃないか。僕の"選ぶ"女の子は"3人に2人"のうちなのだから、こんな調査結果は関係ない)という憧憬、あるいは妄想を高純度で保持していたのかもしれません。
だから僕は信じたい。(小学生以下の)幼女を!(19/100)
ちなみに、僕の世代らへんがちょうど「ぴったりブルマー全盛期」だったようです。小中と女子の体育着は何の疑いを差し挟む余地なく半袖シャツ(体操着)とブルマーだったし、高校になると女子はさすがに体育着の上からジャージを着ていたけれども)、それでも夏はやっぱり体操着・ブルマーで体育の授業を受けていました。
とはいえ僕が現役生徒だった頃、女子の履くブルマー自体を性的対象物(フェティッシュ)として眺めたことはなかったですねえ。どちらかというと、ブルマーにきっちり仕舞われた体操着によってほのかに膨らみ始めた女子の胸が強調されて、それが嬉しかったし美味しかったという意味で、「体操着をブルマーの中に仕舞わずはだけさせるの禁止」主義、もしくは健全なるムッツリスケベーでした。
さらに言えば、小学生のとき女子のスカートをめくってもだいたい下にブルマーを履いていて、だからきゃつは僕らにとって忌々しい存在でしかありませんでした。
「生パンに光を!」
誰が言ったかは忘れましたが、同志のこころざしは今も僕の魂に綿々と受け継がれています。
あ。ちなみに僕はスカートめくり実行犯ではありませんでしたよ?「善意の第三者」ですw