「政治家に限らず、どんなことでも自分のためということは頑張り通せない。自分に返ってこなくても、人のため、世の中のため、何かになるんだと確信できた時に人は頑張れるんだと思う。また、そういうことでしか充実感を感じられないと思う。「人間は素晴らしい」と思えるのは、本質的なところで、誰かのため、何かのために頑張りたいという気持ちがあるからだ」

人間が築いた文明は、本来は無意識である身体の不毛を言葉で埋め合わせることで、人間とその共同体にかたちを与えてきました。そして、人はそこに自分を位置づけ、なかなか捉えきれるものではない自分のかたちを捉えようとしてきたのです。そうした言葉の積極的な働きかけが薄れようとしている今日、わたくしたちは言葉で埋め合わされなくなった己の身体一つに、かつてないほど振り回されています。いうなれば、文明社会に動物の無名の身体が露出しているのです。このままゆけば、今世紀はさしあたり暴力の世紀となりましょうか。