鍵姫物語 永久アリス輪舞曲 8-9話

この機会に公式web覗いてみたら、君たち中学生だったんですかい!(しかもキラちゃんは中一生)相変わらず介錯ときたら……。

「アリス能力者の持つ物語の裏側には、必ずドロドロした物語や醜いものが隠されている。私はそれを呼び覚ますことで相手の動きを止め、物語を奪うの。言ったでしょう、素敵な物語は、辛い過去や人に言えない醜い思いの裏返し、現実逃避なのよ」

先日まで放映していた「ローゼンメイデントロイメント」っぽいなと思いながらも、なんとなく見続けていた「鍵姫物語」。でもこの8話へきて唐突に核心をさらけ出そうというのか、えげつなくもドキっとさせられるエピソード群が現れ、物語は想定外に辛い佳境へと舵を取ったようです。
実の兄(桐原有人)に抱かれる夢を見る桐原きらは。幼い頃親しい男性から性的いたずらを受けた(と思われる)ミカ……。衣擦れの音とブランコの軋む音が妙に生々しく、オルゴールの音色が似合うメルヘンチックな世界観がいっそ残酷。
アリス能力者の過去を暴き立てる能力を持つ新たなアリス能力者、須羽アスカが語るその言葉は、劇中いかにも悪者然とした扱いにもかかわらず正鵠を得ている。「こうすれば良かった」「ああだったら良かったのに」。そういった後悔や欲望、少なからず後ろ暗い過去と思いを美化するようにして、フィクションは創作されるのだろうし、正当化するようにして人生を歩んでいく、脚本家にしろ人にしろそういう側面は否定できないことだと思うんです。
「辛い過去や醜い思い」をそれそのまま受け入れて生きていくだなんて芸当、普通できません。適当な美化や安易な正当化を施しながら、僕らは無視して蓋して過ごしていくしかないえげつなくも現実的な存在というわけです。「心の物語を賭けて戦う少女達」、それはいつまでも純真無垢な存在(アリス)でありたいと願うヒロインたちの潔癖な夢想であり、そのくせ女性として成熟しつつあるお年頃と体つきで描かれているジレンマは、「辛い過去や醜い思い」があるからこそ「素敵な物語」を持ち得るという、面白みもない人というフィクショナルノンフィクション。
特に興味深いのは、心の物語を奪われることで"すっきり"してしまうアリス能力者の存在。もしかしたら人というものは、「辛い過去や醜い思い」そのものに苦しむのではなくて、「こうありたい」「ああなればいいのに」から発祥した、高貴な自己が願望を神聖に充足している「素敵な物語」を抱えていて、それとの乖離こそが苦しいのだということ。致命的に離れていくことが怖いのだということ。辛いのも醜いのも"そう思う""そう感じる"自分以外のなにものでもないのだから……。
人は思うから苦しい、願うから辛い。心の物語をすべて集めることでどんな願いも叶うという第三のアリスの書とは、きっと、決して醒めない夢を1人称視点で永久に綴っていくような物語なのでしょう。思うことなく、願う必要もない、際限のない心の物語をただ夢見るだけの。

「まぁ、今回はいろいろあったが、逃避からおさらばしなさいという思し召しだな。物語を逃避に利用して自分の心をごまかしてきた罰だ」
「そんなことない! 逃避じゃない。それは、救いの物語だよ。だって、その物語でキリカ先輩は救われてきたんだよ? 自分が、壊れないように……」

かわいい女の子にこんな風に慰められたら、僕はまず間違いなく"間違い"を犯してしまうでしょう。こう、ブランコをギシギシジャリジャリ軋ませながら、ね(はぁと)。心の物語を捨て去ることで救われるか、心の物語自体に救われるのか。割と人生観の根本に結びつきそうな議論だけども、とりあえず本編の今後の展開にそこはかとなく期待。