なんとなく、親子丼を作ってみました。
めんつゆがあれば楽だったんだけど、ちょうど切らしていたので、「ほんだし」使って簡易だし汁を作り、それにしょうゆ・さとう・酒・みりんを加えたものをフライパンで沸騰させ、たまねぎと鶏肉を煮ます。このあと本当は三つ葉を入れるんだけど、僕は三つ葉が嫌いなのでほうれん草(既に湯がいてある)を入れてみたりして、卵でとじたら完成。
刻みのりを散らしたどんぶりご飯に、フライパンから直接移して汁多め、最後に紅しょうが乗せて七味唐辛子かけて出来上がりー。さぁ召し上がれ……わぁい美味しそ〜……。
ちょっと味が薄いかなと思ったけれど、これはこれで関西風っぽくて上品な味わい。今さらながらめんつゆはなんて素晴らしい万能調味料なのだろう。日本料理作ってて迷ったらとりあえずめんつゆ入れとけ、これを僕の遺言にしよう(誰への?)
それにしても、親子丼というと、(昔別のところで書いたかもしれないけれど)大学の児童福祉の講義で、親による性的虐待を「親子丼」と表現していた教授を思い出さずにはいられない。
ところで。4月から働くつもりだった仕事がダメになってしまいまして、月森さん困っています。これまで働いていたところは既に退職の手続きをしてしまい、まぁ戻りたいと言えば戻れるような気もしますがそこではしょせん非常勤、4月からは正社員並みの身分と収入を得なければならないので、はてさて、どうしたものか。
それにしても、先方から誘っておいてダメになっても連絡なし(こちらから問い合わせて判明した)というのはひどい話ですよね。振り回され損というか。まぁここでリアルの愚痴を書いても仕方がないんだけども。結局、この自己中心世界、オイシイ話には裏しかないというか、他人は自分が控えめに期待するほどにも自分のことを考えてくれていないのだということを、まざまざと思い知らされました。ダメですね、ギャルゲーばかりやっているとその手の「控えめ」意識が一般レベルより多少高くなってしまうような気がします。
以前にもそんなようなことを書いた気がしますが。そもそも、他人のことを全然気にしていない自分のことを他人が気にしてくれるはずがないんだから、何よりもダメなのは僕なんですよね。まぁわかりきっていたことなんですけども。
とりあえず、新聞折込の求人広告辺りから近場の働き口を探してはいます。実際に応募するのは、えーと、「はるのあしおと」をクリアしたら? いや、うーんと、来週母親と行く予定の旅行から帰ってきたらかな……。
結局のところ、本気で悩んではいないし、考えてもいないんですよね、仕事とか将来について。ダメな自分をわかっていて、なんとかしなきゃと考えていながらどうすることもしない。どうでもいいやと実は思っている。
何の巡り会わせなのか、この時期にプレイするエロゲーとして「はるのあしおと」はものすごく辛いです。痛いし、酷い。なんかね、セリフにいちいち胃が重くなるというか、訳もなくため息が出てしまうというか……。主人公に共感するとか感情移入するとかいうレベルではなく、まんま自分なのですよ。もうどうしようってくらい。

臆病者は結局、何も手に入らない。失い続けるだけの、負け続けるだけの人生を送ることになるわけだ。

「自分に都合のいい未来を妄想して、何の努力もしないまま夢が叶う日をじっと待ってるだけじゃないんですか」

情けない主人公だなあと馬鹿にしていたら、その主人公よりも情けない自分を発見してしまったとき、僕はエロゲーにすら存在価値を否定されていることになるのかな。社会が貶めるエロゲーが僕を貶める。彼には救いがあります、それは見目麗しいたくさんのヒロインと出会えること以上に、自分が"そうなってしまった"原因が明確であるということ。大抵は、自分がなぜ"そうなってしまった"のか分かりません。原因も影響も分からないから、慰められても、幸せかもしれなくても、何をもって"救い"とすればいいのかわからない。抜け出せた気になれない。本当に救いがないというのは、こういうことなのかもしれません。
我ながら不健全な精神状態だな……。しょせんは他人行儀な我が人生、樹くんのように思いきりよく変われやしないし、主人公にもなれやしないのよ。