「Missing」(甲田学人著)全13巻、読了。
もしこの小説がアニメ化することがあったら、そのOP主題歌はKOTOKOの「being」が良かったのになあと思いました。この曲は既に「灼眼のシャナ」の2ndOPなのですが、結構好みなのにいかんせんアニメ(OP映像)とはあまりあっていないと思っていて。「緋色の空」のインパクトが強すぎたというのもあるんでしょうけど。
そんな思いを抱えながら、「being」をイヤフォンで聴きながら「Missing」を読んでいたとき、ふとそう思ったのがそんなことでした。関係ないどころか完全に個人的な話で恐縮ですが。
さて。「Missing」という作品。あれだけ大風呂敷広げておいていったい何がしたかったのかと、というより何がどうなったのかと、何もかもがあやふやでひどくつれない終幕に、暫しぼう然とするばかりでした。よくあれで筆が置けるなと、筆者のその感性自体が空目よりも何よりも異界的だったというオチでしょうか。笑えませんよそんなの。
壮大で緻密なオカルト知識、くどすぎる描写とえげつない比喩、矛盾する物言いを力技でねじ伏せる偏執的な迫力のくせして、他愛のない誤字に脱力してしまったり。奇妙な緊張感をじりじりと煽りながら、「それでどうしてそうなるの」といって差し支えない物語的な詰めの甘さは、空目の断定口調で覆い隠そうとしていますが、はっきりいって破綻しています。常套化したホラー感にも飽きてしまって、そうなると、くどいがゆえにありきたりとなってしまった恐怖表現もとたんに刃こぼれ。正直13巻も続くべき作品ではなかったですね。
要するに、この作品の主題は魔術や呪いといったオカルトと、都市伝説や昔話といった民俗学の講義であり、その知見を際立てるかのように、平凡すぎる"異界"という世界設定を持ち出し、異質な存在へ触れることの恐怖を演出するのです。しかしそれらは、人間でなければ為すことも感ずることもできないので、"やむなく"人間を登場させている、本当は人間なんてどうでもいいんだと言わんばかりのスタイルは、オカルトや異界との関わりが表面上失われた後日談の粗末さに見て取れます。
巻ごとに使いきりの登場人物たちは、判で押したように何の謂われもない残虐な死を仰せつかり、あれだけ振り回されて幾ばくかの報いもない、というよりバッドエンドと言っていい主要な彼と彼女たちの空疎な結末と。あまりにも寄る辺ない物語は、まるで素質ある読者へ"感染"させようとする悪意すら汲み取れます。
まず間違いなく、この作品はそもそも人の物語ではないし、最終的に読者は感情移入してはならない物語であったのでしょう。死んでしまったら考えることができるかどうかわからないから、生きているんだと空目は何巻目かで言っていたけれど、この作品は1巻が終わった時点でとっくに死んでいたと見るべきでした。早くに気づくべきでした。
魔津方のあっさりしすぎる死に方と、恩着せがましい死に際のセリフ、しかも「和服が似合いそうな」木村圭子ちゃんも一緒に死なせてしまったのは、どう考えても酷い。この著者はきっと、自分の想像力を考えることは得意でも、他人の想像力を考えることはできないのでしょう。読者が何をどうしたいか察することができれば、それに沿うなり(調和)裏切るなり(衝撃)読者の想像力を考えて物語を紡ぐことができるでしょう。温かいなり冷たいなり"温度のある"表現ができるでしょう。
ただ空ろな、何か得体の知れないモノ、「Missing」。アニメ化は途方もなく、難しいでしょうね。