tsukimori2006-07-14

僕は時折、とっさにとんでもないことをしでかします。たいへん愚かしいことをさらりとやってのけ、そのあとに激しい自己嫌悪の闇に飲み込まれてしまう。その闇の中で、気がつくと目が慣れていてなんとかなりそうな、とはいえ間が悪く足の小指を箪笥の角にぶつけながら生きているような存在です。
たとえば。夜、バスから降りると突如として焼き鳥が食べたくなった僕は、バス停近くにあるスーパーに向いました。目の前の横断歩道を慌てて渡る少年は、大きな箱型の荷物を両手で抱えています。横断歩道をゆっくり渡りたいときに限って、左折の車が停まってくれたりするんだよなぁ、などとぷち同情しながらその様子を視界におさめていたら、足元に財布が落ちていることに気がつきました。
(前を小走りに行く少年が、その抱えていた荷物から落としたのだろう)
そう推測が成立するや否や、僕は走って少年の元に近づき、その肩を財布で叩いて、なんと、押し返してしまったのです。
「あ……すいません」
なんて浅はかな行動でしょう。僕はまったく愚かだ。そこではせめて、財布の中身を確認し、判断してから行動を起こすべきでした。5000円未満なら返す、5000円以上なら……といった判断基準を検討するのも賢明です。イヤフォンを外すこともせず無言で返してしまう僕の無思慮さ加減には、トモちゃんの酒なくて並たまごだね。
そういえば子どもの頃、友だちとふたりで藤沢に映画を見に行った帰りに恐喝されたことがありまして(僕はそのとき、タバコの火を肌に押し付けることを「根性焼き」というのだと学びました)。その際彼らの判断基準として示されたのが、[2000円(僕の所持金)=見逃す 5000円(友達の所持金)=いただく]というものでした。僕はこの一件以来、藤沢へは一度も行っていません。藤沢の恐喝っぷりは最近、どうですか?
逃がした魚は大きい。返した財布も大きい。そういや1年前には窓口仕事中に、「前に落ちてました」と6万円入りの財布が届けられて、「届けるなよ、頂戴しとけよ」と内心ダイナミックにツッコミ入れつつ、僕は僕で「すいません、落し物で財布が届けられたんですが」と上司に献上したりして……。
歴史は繰り返し、人間は同じ過ちを繰り返す。道理で僕はいつまでたっても、同人誌を買うお金にすら困る生活から脱することができないわけです。ダメダメですね。とほほ。