お風呂上りのじいさんが、自転車をふらふらと漕いでいて、それを見かけた板金工の兄ちゃんが、「銭湯あがりかい?」、「いんや、ウチでシャワー浴びてきた。これからどこ飲み行っかなぁ」…というような会話が夕方の通りで交わされる、こういうのが下町っていうんだろうなぁ。
お酒と焼き鳥、民家の味噌汁をひっくるめて"下町の匂い"みたいなものを、いっさい振り切って、僕はつまらないベッドタウンへと帰ろうという。朝読みきれなかった読売新聞と、朝日新聞を読み終えたらそこはもう、排気ガスとコンクリートの匂い。僕はなんて粋じゃない生活を送っているんだろう。
まぁ、粋に生きようにも金がないわけだが…。それこそ粋じゃないわね。

鈴置洋孝さんがお亡くなりになりました。
声優さんは本当に突然死にますよね…。どうしてだろうと考えてみると、やはり声は加齢に影響されないということが大きいんじゃないかなぁと思います。
役を演じる声優さんは、もともとの声質に加え、インパクトのある役柄(キャラクター)の設定年齢に実年齢が引き寄せられ、固定化してしまうのではないかと思うんですよ。イメージ的に。
声優さんだって人間だもの、年は取るでしょう。理屈ではわかっています。けれど実際年を取っていて、しかも死んでしまったという事例に触れたりすると、本当はそんなこと("あの声"の持ち主が加齢するということ)ちっとも信じていなかったということが判明するのです。
結局のところ、僕は声優さんを、演技である「声」(マテリアル的なもの)としてしか認識していなくて、たぶん「人間」として考えていないんだろうなあということに、気づかされます。声優さんを人間として普段から見なしていれば、声優さんの訃報に触れたとしても、とんちんかんに戸惑ったりすることはないでしょう。
「喪服って何色の服だっけ?」
ま、いずれにしろ僕に(僕以外の)人の生や死をまっとうに認識する、才能も能力も甲斐性もありはしないのですけどね。