今夜は、スーパー前の駐輪場で自転車に鍵かけようと前屈みになった女の人の胸の谷間に、乾杯。
人生山あり谷ありと言うけれど、これだけは言える、谷があるからおっぱいは成立するのだと。谷がわずかもない平原のステキさについては、今さらここで述べるまでもないことではある。

「格差というと、上と下の差を問題にしがちだが、上を問題にする必要は全くない。がんばってリスクをとって、どんどん稼いで、どんどん納税してくれる人は増えたほうがいい。政治の責任は、残念ながらそういうことに乗り遅れた人たちの生活が困らないようにすることだ。問題にすべきは格差ではなく貧困」

朝日新聞より、総務大臣竹中平蔵氏。
過酷なリストラによって多くの労働者の雇用を犠牲にしてきたおかげて、会社の収益がようやく上向いて、残った社員がそれなりに稼げるようになって、法人税所得税等々どんどん納税するようになっていても、それでもやはり上を問題にする必要はなく、職を失ってチャンスにも乗り遅れた「下」の層の貧困問題としてだけ、捉えていればいいのだと素面で言っているのだとしたら、この人は正真正銘のアホですね。
満足して生存していくためにリスクを背負わなければならない社会というのも、イヤだけれど、能力や環境など本人の努力云々ではどうにもならない不平等のリスクによって、一定数以上の脱落者が必ず発生するシステムにあってそれを、「残念ながら」と形容されてやむなしとする価値観自体が、非人間的だと思うんです。
内需は頭打ち、どこの市場も飽和状態で、クリエイティブやアイデアがぼんぼん出てくるような開拓団時代はとうに終焉しました。自分が勝つためには、もはや相手を出し抜くか、さもなくば蹴落とすかしか手段はありません。何もないところから自分だけの成功を創出することは著しく困難で、いきおい、相手の失敗の上に自らの成功が成り立っている度合いがいやがうえにも高まっている今日この頃。「上」があって相対的に「下」が存在するというのではなく、「下」があって構造的に「上」が出張ってくるのだという視点に立てば、「上を問題にする必要は全くない」などという人でなしの発想は、とてもじゃないけど出てきません。
ブランドモノのスーツを着こなしているような議員さんや学者さんが、「格差問題」だの、フリーターやニートについてだのありがたい理論や説教を聞かされるたび、どうしたって叫びだしたくなります。「上」の方たちの気品ある無責任っぷりが「下」を諦観的に固着させているのだと。格差が問題だと論ずる、当の本人は自分のことをどこまでも中流だと幻想しているか、流れから離れて岸辺で見物している仙人気取り。学者さんは学者さんでどうにもならない部分もあるのだろうけれど、格差について身に染みてわかっている人たちは、何も言わないし、何もいえない。それがもう今からでは、どうにもならない問題だから。
「みんなにチャンスをあげる、上手くいかなくても死なないくらいには養ってあげるし、もう一度チャンスもあげる」
(だから、それでも頑張らないなら本人のせいだよ?)
結局政府は、怠惰な国民をもつというリスクを『自己責任了承済』というスタンプを押して回送したがっているのでしょうね。誰が言い出したのか小さな政府を目指して、権限は地方自治体に、責任は国民自身に。これからは横断歩道もおちおち渡れないぞう。

欲しいPCパーツがあったので帰りにアキバに寄って調達。領収書は手書きのください。
そんなビジネスライフを今のうちに堪能しておこう。いつ実現不能になるかわかったものじゃないですからね…。

男女でセックスをする場合、性知識不足から来る危険は、決して平等ではない。

これも朝日新聞から。なんだかんだ言って、そこそこ読める記事はあるもので。そこは新聞一般のいいところ。
男にとってセックスは手段であり、女にとってセックスは理想。手段について人は詳しく知ろうとするけれど、理想について人はあえて知らないことにする。なぜなら、手段は知らなければ手段たりえず、理想は知っていては理想たりえないから。