博士の愛した数式

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

僕も高校に入るまでは数学が結構好きで、成績も好かったんですよ。自慢じゃないけど(いや自慢だけど)5段階評価の5くらい。高校の代数幾何でつまづいたんだけれども。
数学を好きだと感じる心って、実はギャルゲーに通じているじゃないかと思います(いやたった今思いついたんですけど)。特定のヒロインとラブラブになるためのストーリー<命題>を、適切な選択肢を<思いやり公式>に当てはめ積み重ねていくことで、解き進めていく恋愛証明問題。
<思いやり公式>は誰の心にも備わっていて、それをどう応用するかで証明(クリア)の成否がかかってきます。特別な知識や技能は必要としない。それはまさしく数学そのものなんじゃないかとね、思うのですよ。だからというわけではないんですが、数学は楽しいものです。だって正解することについて最も純粋に喜べる受験科目は、数学くらいのものでしょう。英語にしろ社会・国語にしろ、そこには明白な知識の裏づけが必要とされるか、気づきがなければ正答に辿り着けません。だから、正解を導き出せてもほっとするくらいで嬉しくはなく、解答できなかったり間違っていてもそんなに悔しくない。だって知らなかったり気づかなかっただけだから。それはしょうがないことじゃんと言い訳できるから。
でも数学は正解に辿り着けるとそのまま嬉しいし、間違えたり最後まで辿り着けなかったりするとそのまま悔しい。解答は全て自分が考えなければならないわけだから、その結果も全て自分に帰ってくるわけで。ある意味とてもスポーツ的な潔い学問ですよね。何桁にも及ぶ数字がずらずら並ぶ式を苦労して解いてみたら1とか2とか単純な素数だったりして、「おいおい、たいようのいしラダトーム城にあったのかよ!」的意表性も、答案を返してもらった後の答えあわせではいい思い出(エピローグ)となっているのです。
博士の愛した数式
ディスプレイ上の2次元美少女をこよなく愛していることを(余人に理解されないとしても)、せいぜい2,30時間サイクルで次々忘れ去られてしまう存在だということを(ポスターフォルダを整理していて思い出すとしても)、同次元で語るには全くおこがましいけれども、僕は博士に共感せずにはいられない。
何しろヒロインも結局のところ身長体重スリーサイズに靴のサイズと数字によって形成された存在、[(身長/2.20)−(身長/ウェスト)]とか[身長×0.432]という数式でアンダーバストを算出し、妄想をめいっぱい膨らませてハッピーエンディングへの証明問題をびんびん解いていく。エロくも可憐な数字たちの姿態を、僕たちは僕たちのやり方で愛しているんだということを、博士は褒めてくれるかなあ。