友人の結婚式と、「しにがみのバラッド。」

お幸せに
昨日は友人の結婚式に行ってきたんですけどね(not生田神社)。何は置いても、ヴァージンロードで新郎のところに新婦が歩み寄る間、新郎が、あの野郎が、グノーの「アヴェマリア」を歌いやがったのには参りましたね。上擦ってるよー音低いよー野郎が歌うなよー。僕が女ならむしろ引き返してぇ、というかですね、
アヴェマリア」は美咲菫ちゃんしか歌っちゃダメだろッッ!!
なんと逆タイムリーな出来事だろう、辛すぎ……。それとも引き出物は竹内麻巳ちゃんのフィギュアだったりするのかな(それなら許す)。でも、結婚式にあう曲ではありますよね。つくづく愛の歌なんだなあと、こういう歌を、たったひとりの異性に聞かせるというのは、もうそれだけである種の告白なんじゃないかなと思うのです。告白であって欲しいと思うのです。そういったことを、僕は「Canvas2」の美咲菫シナリオに感じたのです。
ネットのレビューだと、「淡白だ」とか「ただの揚げ足取りじゃないか」「いつの間にそこまで惚れてたの?」などと言われているけれど、それはちょっと違うんじゃないかなあと。「アヴェマリア」をあれほど歌っているんだから、練習ではなく、「好きで」歌っているんだから、そういうことなんだよと。ま、わざわざ平野綾で買い直したからこそ言えることなんですが。
そんなこんなで、二次会が長引いてしまってさりげなく終電を逃してしまったり……。がってむ。東京メトロ千代田線の終電って霞ヶ関止まりなんですね。どうせなら霞ヶ関まで行って時間を潰そうと思った僕がとっても愚かで、深夜の霞ヶ関って、なんっっっっっっにもないんですね。誰っっっっっっもいないですよ。店はコンビニしか開いてないし、空車のタクシーしか動いているものがないって、せつなすぎ。式場の紙袋を片手に礼服姿で経済産業省とかの前を傘も差さずずぶ濡れのままうろついてるんだから、少しくらいさあ、「どうしたんですか?」とか、職務質問くらいされたっていいじゃないかよう。そこまで僕はこの世にとってどうでもいい存在なのかよう。
ぐすん、大手町あたりで降りておけばよかったです。もう仕方がないので、地下鉄の入り口にもぐって、シャッターに寄りかかって「しにがみのバラッド。⑧」を読んで時間を潰してました。
寒っ。雨冷たっ。風邪引くぞごるぁ。
こういうときに読む「しにがみのバラッド。」はなんて……なんて、寒々しいんでしょう。子どもじみた感傷とか子ども丸出しの言動とか子供だましの甘い感動は、僕のようなおやじには、ある程度リアルの余裕とか寛容のときでないとあまりポジティブに受け入れられないものですね。ラノベとは元々そういう種類のものだけれど。ステキ時空の小手先言語たちが重力を伴っていないのは以前からだったけれど、それを自身の自重で手に取る(意味を付与する)気がしなくなるのですよ。幻想階級は趣味で生きてるようなものだからなあ。
ああ、失業中とか失意の身で結婚式はじわじわと効いてくるってことですかね。まぶしすぎる。ちゃんと正装して行ったのに自分だけ浮いている感じが始終抜けませんでした。いい結婚式だったんですけどね。であればなおさら、ということかしら。
「――無駄なモノなんてない。ひとつひとつが、誰かのたいせつ。」
いろいろ考えるともうなにかがどうにかなってしまいそうだったので、結婚式前にアキバのとらのあなで購入した「にょろーん☆ちゅるやさん2」を読むことに。
ぷぷっ! こりゃ滑稽だっ! だが今の僕の状況ほどシュールではないっ!
続いて、UnisonBellさんの新刊「なのはな」(「魔法少女リリカルなのは本」)を読む。元ネタは知らないけどロリなら望むところだし、そもそもUnisonBellさんはデフォ買いなので問題なし。そして、元ネタを知らなくても十分楽しめるクオリティだからこそ、ファンを辞められないのである。
さらに買った「まきいずみのひゃくにんいっちゅ!」をどうやって聞いたものか途方にくれていると、4時半頃かな、シャッターが開きだし、開くのは始発の5時半くらいだと思っていたので、僕を迎えてくれた(自分視点)地下鉄職員のおじさんが神々しく見えましたね。ありがとおぅ、後ろから抱き締めたくなりました。ぎゅって! こんなところにも感動ってあるものなんだなあと。
ふわふわふにゃふにゃ百人一首朗読CDをにたにた聴きながら、ブログを打つ。暖房器具がなくて生ぬるいこの室温のような我が人生。さあ次のエロゲーは「Quartett!」ですよっ。ってか、月曜日面接……。



式場のテーブルの上に飾ってあった薔薇の小鉢。ひとりずつ頂けたので、家に持ち帰ったら、さっき猫に食われてしまいました。食べられてみて、ああ、この薔薇は作り物じゃなかったんだと思って、ちょっとおかしかった。
おい"かんち"(猫の名前)、お前意外と"面食い"だったんだな。