ぶらばん!

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プレイヤーを不幸にする「大人の事情」

きっと事情があったんでしょう。18禁美少女ゲームですもの、それはわかります。全てのヒロインについて、4月27日に告白して両想いになって、4月30日までに3回のエッチシーンを挿入しなければならないという業務命令か何かが、下されたのでしょう。大人の事情、どこの世界でもある話ですよね、しょうがないことです。でもね、そのしょうがなさ、赤城山ブラスバンド部の廃部がかかった大事なコンクールを、5月2日に控えた4/27-30日4日間、特定のヒロインと告白コミで3回ものエッチをこなしているという唖然と歴然の渾然たる事実が、主人公の誠実さ、作品としての真剣さを木っ端微塵に吹き飛ばしてしまっているとしたら、そんな大人の事情を汲まなきゃならないプレイヤーは、不幸以外の何者でもありません。
濡れ場があるのはいい、だからこその18禁だもの。しかしそれがまるで「プレイヤーが暗に要求してるからしょうがなく……」と言わんばかりの卑怯なていたらく、まるで「客が無理を言うものだから……」とフランス料理のコースメニューの途中で半ライスを出すような愚かな媚びへつらいをもって、メニューという、作品という統一性やメッセージ性をどの面下げてお会計できるというのでしょう。まったくくだらない。くだらなさすぎます。作品的に考えるなら、練習(合宿)中に告白、コンクール直前に初エッチ、コンクール後にもう1回あってもいいなといったところでしょう。違うかな。僕の常識がおかしいのかな。

音楽のこだわりと、作品に対する誠実さ

ブラスバンドをテーマにした作品にあって、音楽にちゃんとこだわっているその姿勢を、僕は高く評価します。「Quartett!」とは違い、下手な演奏をプレイヤーにわかるくらいきちんと下手に演奏していること、主要BGMが吹奏楽器の生演奏でいかにも青少年らしいさわやかな妙味を演出していること*1、ヘッドフォン装着でプレイしているとBGMから息継ぎの音まで聞こえてくるのは、それだけで何かホットな気分にさせられるものです。あるいは「Quartett!」の感想で僕が書いた、各ヒロインの担当する楽器を主旋律に据えたテーマ曲が当然に設定されること。さらにいえば、主人公がブラスバンド部の部長であり指揮者でもあるということから、「演奏指導モード」というゲーム要素が挿入されていることなども含めて、吹奏楽がただのBGMではない、ゲーム性の一部として、タテマエではない実質としてプレイヤーに強く伝わってくることでしょう。
音楽が、作品に対してこれ以上ないほど誠実であるのに、物語と、しいては主人公が作品を侮辱している。その酷薄な食い違いが、僕は悔しいし、口惜しい。どうなっているんだと。

「あぁぁぁんまりだアァアァっ!!」

「こんな人間が部長を務めている部など、コンクールを待つまでもない、すぐに潰した方がいいでしょう」

物語の憎まれ役、円山ブラスバンド部顧問・大河原甚五郎は主人公のことをこう評しますが、まさにその通りだと、僕も思いました。父親が有名な音楽家であり、幼い頃から音楽に親しんできて、また才能もあるというのにプロを目指すでもなく、ただ楽しめればそれでいいやという態度は、ともかく。赤城山ブラスバンド部の廃部がかかったコンクールを前にして、部長であり、指揮者でもある主人公は、重圧に押しつぶされそうになるのかといえばほとんどそんなことはなく。毎朝幼馴染に起こしてもらってお気楽風情、気になるヒロインのことを気まぐれで追いかけまわし、いらぬ世話を焼き、くだらないお節介で引っ掻き回して、ありがたいヒロインたちの意味深な言動や不安そうなそぶりに振りまわされ、とはいえ何ら有効な働きかけをすることもできず、じれったい主人公の態度につきあわなければならないというのは、プレイヤーとしては正直耐えがたい。

「……ちゃんと練習しましょうよ……オルゴールのことなんて、いつだってできる話なんですから……」

ヒロインにしつこいくらい「大丈夫か」と尋ねまくり、「やっぱり気にしてるんでしょ」と横着的に断定し、「無理するな」とその場限りの慰め言葉ばかりを並べ立てる主人公。それでもなし崩し的にヒロインの問題が解決、ヒロイン5人のうち4人は赤城山ブラスバンド部員ですから、コンクールの成功のために、問題を抱えた部員の精神的ケアをしたのだという強弁もどうにか成り立ちます。しかし、ヒロインの問題を解決するやいなや「ヒロインのことが好きだから世話を焼いたのだ」とこじつけて、「好きだから主人公のお節介がうれしかった」とこじつけられて、ずるずると両思い。すると練習中だろうがかまわずいちゃいちゃ、もちろんセックス三昧。いったいこんな主人公たちのどこに誠実さを見出せるというのでしょう。物語のどこに真剣さを見出せるというのでしょう。

「構って欲しくないなら、もっと考えた行動をすべきだと思うよ。君の行動は構って欲しくて、無理をしているようにしか見えないから……」

ヒロイン4人に向けられていた主人公の介入の形式が、中ノ島妙シナリオでは反転し、主人公自身がこの形式に拠ってとある人物から介入を受けることになります。これって実に都合の良いことだよなあとしみじみ思いつつ、迷惑な話だよなあとつくづく思いつつ、いずれにせよ、

「いつまで甘えたことを言っているつもりだ?」

という話に過ぎないんですけどね。それがくだらないと感じられるのは、僕が年寄りだからでしょうかね。円山ブラスバンド部部長で指揮者でもある雲雀丘由貴のシナリオでは、このライバルを主人公はひたすら気にかけて、自分たちの方をおろそかにしてまで彼女に執心し、ついに両思い、この世の理であるところのエッチ3回をハードスケジュールでこなしてさあコンクール本番。

「まぁ、最初から勝てるとは思ってなかったけど……こうして現実として突きつけられると……やっぱりショックだな……」

とほざきやがる主人公を、君は笑い飛ばせずにおれるだろうかっ!? 滑稽ですよね、僕は笑いましたねえ、思わずパッケージを床に叩きつけちゃうくらい可笑しかったですよ、HAHAHA……。

責任をないがしろにした恋愛 あやふやな危機感

ヒロインの女の子の悩みを受け、解決に奔走するということの動機が、よこしまなものでないというのなら、誠実でなければならないでしょう。その誠実さを主人公が立証するためには、この物語の場合、赤城山ブラスバンド部の廃部を回避するため、コンクールに向けた練習にこそ心を砕かなければなりません。その責任を主人公は前提として負っているからです。その点に疑問を抱かれた時点で、この物語は道を踏み外してしまったといえます。これまで取り組んだことのない、コンクールという舞台での確かな演奏を目指して、練習に真面目に取り組んでいくという文脈上で生じる、ヒロインのさまざまな問題と、それに根ざした精神的な様相「あれ? ちょっと音がおかしいな……」を、部長・指揮者の役割としてサポートし、伴に解決を目指していく。
その過程を通じて、ふたりの間で芽生える好意のようなもの。僕はもっと、その葛藤のようなものを見てみたかったんですよ。コンクールの成功のために部長として・指揮者として、それこそ私生活を犠牲にしてでも取り組まなければならない、暇をみては楽曲の解釈を巡って思考を巡らせているけれども、気がつくと彼女のことばかり頭に浮かんでしまう。彼女の笑顔が脳裏から離れない。これじゃダメだっ! でも……みたいなね。それが敵方の部長・指揮者であればなおさらでしょう。そういったネガティブを本作では全くといっていいほど描かれていませんからね。
この作品にとって不運だったのは、コンクールで勝たなければ部活がなくなってしまうということの、危機感が非常にあやふやなものだったということでしょう。赤城山ブラスバンド部部員各々にとって、同部がどれだけの精神的拠りどころであるのかということが、まず描かれていません。赤城山ブラスバンド部がなくなるということが、ある部員にとっては学園に通う意味がなくなるほどであるかもしれないし、またある部員にとっては、吹く場所が多少変わるというだけなのかもしれない。
廃部云々といった場合の危機感が、部員たちはおろか、プレイヤーサイドについてもまるで定まっていないことが、この作品の真剣さを確保しづらい状況を作ってしまっているといえるでしょう。僕個人は、高校時分部活動にけっこう依存していたので、コンクールで勝たないと廃部だといわれたら、必死に練習したかもなあ。「部活がなくなる、それは大変だね」という一般論に過ぎず、「危機感」という言葉自体に感じるほどにはどうということもないのなら、そもそも勝利確率の低い勝負、躍起になってまで練習に取り組むこともないわけで。例えばプロローグにでも、赤城山ブラスバンド部が学年混交のクラスのように、何かあれば集まってワイワイやっているような、仲良しグループとして部員誰もが強い愛着を持っているというような描写があれば、その廃部は確かに危機感を抱かせるだろう(とプレイヤーにもわかる)けれど。
それがたとえば、主人公ひとりだけでも良かったわけです。他の部員はそれほど愛着を感じていないけれど、彼だけはとある理由で赤城山ブラスバンド部に強い想いを抱いていて、決して廃部なんかにさせられない、と。みんなに呼びかけて頑張らないといけない、と。もうそれだけで物語はたいそう張りを帯びるだろうし、オチは彼の「とある理由」が十分叶えてくれることでしょう。しかし決してそのようなことはなく。名もない部員たちも似たような態度。「お前ら本当は赤城山ブラスバンド部なんてどうでもいいんだろ」と、突っ込まずにはいられないのが、この物語の致命的な脆弱さであり、音楽に関わらずこの作品が本質的に軽薄であるゆえんです。ま、それでいいんでしょうけどね。
吹奏楽を演奏すること自体が好きなら、部がどうなろうと構わないじゃないですか。部活動という枠組みにこだわらず、それこそ、自治会館あたりを定期的に借りて演奏を楽しめばいい。どうして赤城山ブラスバンド部を潰されてはならないのか、なくなるといろいろ面倒なのは確かだろうし、先輩たちが築き上げてきた部の歴史が途絶えるのも忍びないでしょう。しかしそういった外堀ではなく、もっと内堀的な理由、力強く共感的な自分たちのエピソードが、あるべきでした。

不誠実な主人公から音楽をゲームで奪おう

タクトさえ振らせておけば問題ないのだが……
また、僕が思ったのは、ギャルゲーである以上主人公は、ときに物語の本筋と離れる覚悟を持ってヒロインの不安や悩みに取り組まざるをえないものだから、それならいっそ、赤城山ブラスバンド部がコンクールで勝利するための練習を、ゲームに委ねてしまえばよかったのではないかということです。この作品には「演奏指導モード」というのがあって、実際の演奏を聞いて、本来の演奏から外れている楽器奏者にアドバイスします。アドバイスの結果は物語に影響を及ぼさないのですが、それをむしろ及ぼせるようにしたらいいと思うのです。
演奏指導モードを6回なり指定して、実際の演奏を5箇所くらい間違わせておくのです。5回のうちで、ちょっとずつたくさんずれている演奏を聴き取って、少しずつ直していくことにより演奏の技術レベルが上がる。部員たちのテンションや団結力が高まるような選択肢を選択することで、演奏の精神レベルも上がっていく。主人公のああいった癪に障るありさまを、せめてコンクールの出来不出来だけでもその因果から解き放して、ゲーム性つまりプレイヤーが音楽をことごとく掌握できれば、結構すっきりできたような気がするんですよね。普段はアレでもやることは(プレイヤーが)やってる、と。
どうせコンクールで勝とうが負けようが落としどころは同じなわけだし。それなら、ゲームの達成度によって、勝てれば後味良くヒロインとのエピローグ有り。負ければ後味悪くエピローグ無し。というくらい意地悪しても許されたのではないでしょうか。

「え? あ、せ、先輩、そっ、そっちは違います」

とにかく絵は素晴らしい。キスシーンにおけるヒロインの顔どアップで、美しいと思えたのは実は初めてかもしれません。つくづく、去年の夏コミケで頒布されたらしいサントラ+原画集セット(紙袋付き)4000円は、良くも悪くも「ぶらばん!」の「ぶらばん!」たるところだったわけです。というか、ものすごく欲しかったです。これだから時代遅れの男は嫌だなあ。
改めて、本当、「先輩そっちは違います」と僕も声高に叫びたい、そういう作品でございました。なのに「入れちゃダメか?」で、「そ、その、せ、先輩が入れたいなら」となってしまった、ああいう作品でございました。
「あぁぁぁんまりだアァアァっ!!」(笑)

*1:生演奏とは関係ないけど、エッチシーンでよくかかっていた「Sweet Bell」という曲の出だしは、某ファイナルファンタジーの曲みたい