新聞の好き嫌いと、慣れ

契約更新のときの粗品が読売新聞は少ないという情報を、パート先の友達(朝日新聞)から仕入れてきた母親が、よくよく考えてみると、1年契約のはずなのに今年はまだ更新に来ていない、どういうことだ? さては勝手に更新しやがったな! 粗品っていうレベルじゃねぇぞ! ということで怒り心頭、読売との契約を破棄して朝日新聞に切り替えたのが9ヶ月前。そのとき僕は、長年読み親しんできた読売名残惜し、あまりいい印象を抱いていなかった朝日新聞はフォントに至るまで気に入らなかったというのにね。
確かに朝日新聞粗品はすごかった。洗剤やらティッシュペーパーやら、半年は残っていたと思う。しかし、9ヶ月の間に新聞の入れ忘れ事故が3回もあって、これまた母親が怒り心頭(すいません、ウチの母親はちょっとしたクレーマー気取りなのです。たまにテレビ局にも電話するしなあ)、1年契約を打ち切って、再び読売新聞を取り始めたのがこの3月(朝日新聞の配達員が言うところでは、ちゃんと配達しているらしく、誰かが盗んでいるのか、それとも読売の仕業なのか……)。
9ヶ月ぶりに読んだ読売新聞は……あれ? こんなもんだったっけ、なんか物足りない。こどもの詩と人生相談がまた読めるようになったのはうれしいけれど、それ以外は特に感慨もなく。辞めるときはあれほど残念がっていたのに、読み始めると朝日もけっこう捨てたものじゃなかったのね。要するに大衆向け新聞なんてどれも同じということなんだろうけれど。朝日は、読売からすると特に医療関連の記事が充実していて(その代わり読売は教育関連の記事が多い)、ああ、そういや僕は病院関係者なのだということを、思い出す……。
「どう? 9ヶ月ぶりの読売は? あんた読売が好きなんでしょ」
「え? あ、ああ、うん……」
今さら「やっぱり朝日新聞が良かったです」とは、言えないよなあ……。