主人公の心の器に不合理を注ぎ込むプレイヤー

 "頭"は知識を詰め込むものであり、"心"は感情を注ぐものであるという。そして、"頭"は知識が詰め込まれていなくとも"頭"たり得るが、"心"は感情が注がれていなければ"心"たり得ない。物語開始当初の主人公は、頭は濃密だが心がない(空虚である)状態であるが、その彼の心に感情を注いでいくのが、プレイヤーの役目となる。主人公は頭による合理的な判断で、彼の常識的な論理からすると違和感を覚える行動をとるヒロインに、当然疑問を感じ、それについて主人公がどういった行動をとるべきかというケースで、プレイヤーに選択を問うてくることが多いのはそのためである。ヒロインの違和感に対する主人公の不合理な行為(干渉)、これが「TALK to TALK」という作品の恋愛ルーチンである。

 しかしながら、この物語の主人公は当然彼であり、描写は一貫して主人公の一人称視点であり、物語のテーマが彼の心の誕生であることの逆説的な意味において、ヒロインの心情の変化についての描写がかなり不足しているのは、宿命的な欠陥と言わざるをえないのかもしれない。自らの感情を理解することのできない主人公が、ヒロインの気持ちを慮ることができるはずもないのだから、そういった描写ができようはずもない。ヒロインにひたすら干渉すること、そのことで生じるヒロインについての不可解さと自らの執着心から主人公は、自身(頭が断定するところ)の不合理さのなかから、異性に対する「好き」という恋愛感情を見つけ出していく。その二次的作用としてヒロインは主人公に惹かれていくのであるが、その反面ヒロインは主人公に惹かれていかなければならない。なぜなら主人公とヒロインが結びつかなければ主人公の心は誕生せず、彼は回収されてしまうのだから。

 「恋愛が成就しなければ心は誕生しない」
 「しかし、失恋による心の痛みから心が誕生してもいいじゃないか」
 という意味で、法月みさきシナリオは他の4ヒロインのシナリオとは別格的に深いテーマ性と、作品にとって重要な意義をもつといえる。このシナリオは失恋の苦しみと、恋愛の本当の意味・大切さを主人公はその心をもって受け止めていくもので、実験目的である「感情の理解」にとって、これほど説得力をもったスタイルはないのではないか。感情を普通に理解している僕ですら(であるからこそ)、涙が溢れてくるくらいに。

 しかし、これとは別に問題となるべきは、自らの感情というものを理解することができず、しいてはヒロインの気持ちを慮ることができるはずもない、つまり相手を思いやるという意味が(物語当初)根本的に理解できないような主人公が、なぜヒロインの好意を得ることができるのか、ということである。

 「ヒロインはどうして主人公に惹かれるのか」
 それはもちろんプレイヤーが、ヒロインが主人公に対し好意を抱くように選択肢を選んでいるからであるが、主人公がヒロインに何をしたのか、ということ以上に、主人公の"人となり"についての要素が大きいように思う。まぁ彼は本当の人ではないのだから、人となりというのもおかしな話であるが。僕がこの作品に好感を抱いた最大の理由は、やはりこの主人公の人となりであり、ヒロインと同じように、僕もまた、彼に惹かれた一人であるのかもしれない…。