福音と耳の聞こえない少女
ある村に、耳のきこえないひとりの女の子がいました。
彼女は生まれたときから耳がきこえなかったので、この世界のいっさいの音というものをまったく知らず、そうするとしゃべることもできませんでした。
村の友達と仲良くなれず、いつもひとり家がある谷の近くの花畑で、風にすすがれながら静かに本を読んでいました。
女の子の両親は、耳のきこえない子どもを生んでしまったがために、新しい子どもを生み育てることを村に禁じられました。
そのことに絶望もしました。
けれども今では、ひとりの耳のきこえない娘をたいへん愛していました。
もちろん、親とはいえ彼女と話すことはできませんでしたが、女の子が自分で考えたという、手を使った奇妙なサインをすぐに覚え(それは大変易しいものでした)、ほとんど普通に話しているのと変わらないくらい、意思を通わせることができます。
村からははずれ者として扱われていますが、それでもこの家族は、おだやかで、とても幸せな毎日を過ごしていました。
その村には、古くからのいいつたえがありました。
「時が満つれば、ある異邦より来たりし旅人が、村に幸いなる福音をもたらすであろう」
その異邦の旅人がいつ来ても良いように、村ではいつも歓迎の準備をしていました。
けれど村の人々は、その旅人がもたらす福音がたちまち自分たちを幸せにしてくれるものと信じているので、福音の前に何をしても意味がないとばかり、畑はたがやさず、あきないもしません。
歓迎の準備以外は何もせず、毎日をただぐうたらと過ごしていたのでした。
女の子の10回目の誕生日の日。
夕立が上がったあとの虹のかなたより、夕日に照らされて、この村へやってくる旅人がありました。
村人はついに来たぞとばかりに、身なりのみすぼらしいこの旅人をせいいっぱい歓迎しようとしました。
しかし、あろうことか言葉が通じません。
旅人は、言葉をしゃべってはいるようなのですが、それが何を意味しているのか、そもそもそれが言葉であるのかどうかさえ、村の何者にも理解することはできませんでした。
村の人々は言葉以外の、たとえば音楽や踊り、念力やこの世のものではない力を借りて、なんとしてでも旅人と話をしようとつとめましたが、まったくらちがあきません。
途方にくれた村人たちは、村の広場に集まり、あの旅人からどうやって福音を聞き出したものかとあてのない相談をはじめました。
村人たちの手から離れた旅人は、どこからか漂ってくる花の香りに誘われて、村はずれの谷にやってきました。
あたり一面の可憐な花々に目を奪われていると、その中にひとりの女の子がいるのに気がつきました。
彼女に近づき、話しかけました。
けれどもその女の子は、旅人の不思議な口の動きを楽しそうに見つめているだけでした。
やはり他の村人と同じように自分の言葉を理解してはくれないのだということがわかり、旅人は絶望しました。
しかし、その女の子はおもむろに両手を胸の前にあわせると、手を動かし始めました。
そのやわらかくしなやかな動きは、旅人にとってまったく見知ったものではなかったはずなのに、そのしぐさが何を意味しているのかを瞬間的に理解することができたのです。それは――
(はじめまして)
村人たちが広場で相談しているあいだ、旅人は谷の花畑に通い、女の子と会っていました。
何しろやっとの思いでたどりついたこの村で、初めて話すことができたのは彼女だけですし、話すための手段を知っているのも彼女だけなのですから。
花畑で、女の子の手のしぐさをまねるようにして熱心に学び続けました。
そうして1週間もたつと、旅人はほぼ完全に"話す"ことができるようになっていました。
旅人は嬉しくていてもたってもいられず、感謝の気持ちを、女の子に学んだ方法で女の子に伝えました。
(ありがとう)
その言葉をきいたとたん女の子に咲いた笑顔は、この花畑のどの花よりも可憐で、とびきり美しいものでした。
その様子をたまたま見かけた村人は、広場にいた村人たちに伝えました。
すると村人たちはこぞって谷の花畑にやってきて、女の子に、旅人と"話す"ことができるという、手を使ったそれを教えてくれと(身振り手振りで)せがみました。
ふだん村人たちと関わることのなかった女の子は、大勢の村人たちに突然囲まれて驚き、戸惑いましたが、すぐ笑顔になってうなずいたのでした。
谷の花畑では女の子を先生にした教室が開かれることになりました。
遠巻きから不安そうに見つめる両親を外目に、女の子はとても楽しげに、村人たちの誰にでも熱心に、そして誰にでもやさしく教えていきました。
そうして村人たちは、気づいていったのです。
子どもたちは、女の子の素直な横顔と、かわいらしい笑顔にどきどきしました。
大人たちは、女の子に備わった広く深い見識と、誠実な洞察力にたいへん驚きました。
老人たちは、女の子の慈愛に満ちたまなざしに魂を抱きとめられるような心地を覚えました。
村人たちは女の子のことを、しだいに、何者にもかえがたく、愛おしく思うようになっていったのです。
女の子を囲む花畑での教室は、いつしか村人たちが憩うための場所となり、そこは朝方から夕刻まで人の途絶えることはなく、その中心にはいつも女の子がいました。
あるとき女の子はいいました。
(谷をちょっと降った所に良い牧草が生えているんですよ)
それをきいた村人が、村でわずかに残っていた牛たちをその場所に連れて行くと、それまでうつろだった牛たちがあたりの空気を揺るがすような歓声を上げました。
嬉々として草を食み、その場所を離れようとしないことに困り果てそのた村人が、しょうがなくここで牛たちの世話を始めてみたら、牛たちがとても美味しいミルクを出すようになりました。
またあるとき女の子はいいました。
(この谷をもっと登った所にすごく広い花園があって、近くの木においしい蜂蜜があるんですよ)
それをきいた村人が、きちんと準備をして行ってみると、見事な自然の花園がそこには広がっていました。近くの木々には蜜をたわわにしたらせた蜂の巣が下がっています。
蜂たちがいない間を見計らってその村人は巣に近づき、蜜のひと雫を舐めてみると、まるでほっぺたがとろけてしまうくらい甘くておいしいのでした。
女の子はこうもいいました。
(村のはずれにある山の麓の茂みに、温かいお湯が沸いているんですよ)
そんな不思議なことがあるものかと、村人たちが総出でその場所まで行ってみました。
するとどうでしょう、ほどよく温かいお湯が地面からとめどなく沸いてきているではありませんか。
村人たちは石を削り、小屋を建て、村の誰もがいつでも入ることのできる天然のお風呂をこさえ、そこにいたる道の整備もみんなで協力してあたることになりました。
毎日をただぐうたらと過ごしていた村人たちは、女の子と交流することによって変わっていきました。
おいしい牛乳や甘い蜂蜜、天然お風呂の噂をどこからか聞きつけてきた人々が、この村をさかんに訪れるようになりました。
さまざまな人々の往来が村人たちに張り合いをもたせ、元々豊かな土地をみんなで根気よく耕しなおし、上質の野菜を収穫するなどして、自分たちの力で自分たちの幸せをつかんでいきました。
そして、仕事に疲れて休みたくなったら、天然お風呂につかった後、谷の花畑へ女の子に会いにゆくのです。
もはや村人の誰も福音のことを口にしません。
かつてこの村を訪れた異邦よりの旅人のことを、誰も気にしなくなりました。
彼があれからどうなったのかさえ、そもそも彼がこの村に来たことですら、忘れてしまっているのかもしれません。
風にすすがれながら静かに本を読んでいる女の子の傍らに、"めのう"のような目をした1匹のカラスがいつもたたずみ、"彼"と話しているとき、この花畑のどの花よりも可憐で、とびきり美しい笑顔が彼女に咲いていることに気づく村人がないように。