ちいさく、みじかく、ささやかなゆめの物語

 この作品は、小さいスケールのなかで非常に完成された、短いストーリーのなかで非常に感動的な、ささやかな訴求性のなかで非常に鮮烈な、美しくも悲劇的な叙情SF物語である。

 退廃し滅亡を目前にした近未来世界を舞台に、冗長になりがちな世界観説明的テキストを大胆に省き、その代わりにシナリオライターの豊かなSF的薀蓄をどっしりと風格ある態度で描写に織り混ぜ、また主人公の過去の追想を気まぐれなフラッシュバックのように折々挿入することで、プレイヤーのイメージ世界に直接世界設定を鋭く深く刻み込むことに成功している。この作品のヒロインであるプラネタリウム解説員、人の造りしロボットである「ほしのゆめみ」と、"屑屋"である主人公の不可思議で滑稽な交流、"雑談"というスタイルによってヒロインを繊細に温かく描き、同時に世界と主人公とを雄弁に圧倒的に表現していく。雨と泥にまみれた灰色の世界と、「ほしのゆめみ」と屑屋が形作る深蒼色の世界の、瞭とした対比、テキストは淡々としているのにもかかわらず緻密で、とても印象深い。

 また、作品の表現しているテーマが、幾重にも折り重ねられ、読者の視座とEnterキーを折り目にして美しくも単純なシンメトリー構造をしていて、それは読後の余韻を味わおうとするたびさまざまな事柄が結びつき、対称化していることに気づかされていく。ごく短いテキスト量であるもかかわらず、である。それは、人の造りしロボットという存在、とても醜くそしてとても美しい人という存在、現在と未来、ありうべからざる世界と、ありうべき世界…。多くのテーマが小さなスケールで"同居"し、鮮やかなシンメトリーを描くことで、プレイヤーは極自然に、とてもピュアな態度で、たったひとつの大きなテーマに収斂していく自らの心のひだを見出すことができるのだろう。物語が紡がれている"場所"そのものの狭さに比して奥行きがあり、幾層にも積み重ねられているにも関わらずとてもわかりやすいメッセージ性を読者に与えているのは、そのためだ。

 そして、「ほしのゆめみ」と名付けられたロボットであるヒロインに、ラストシーンで人間の心を持ったりするような"ありがちな奇跡"は起こらず、ストイックなまでに最初から最期までロボットであり続ける。主人公は最初から最期まで名前がなく、ヒロインや他の誰かを救ったり、世界を変えたりそれらを叶える特別な力を持っているわけでもない、ほとんど無力な存在。しかしこのふたりが世界に対し当然抱くべき絶望を、物語は声高に叫ぶわけではなく、なにひとつ抗うことなく、痛ましいほどに粛然と結末は訪れる。この潔癖なまでに徹底された救われなさと、主人公の非英雄性が痛切なまでに浮かび上がらせている作品テーマを、あるいは具現化している"幸せな悲劇"そのものが、何にも変え難い、そして何にもまして強烈な、読者に対する訴求性を内包している。

 テーマが、語られることによって初めて実在化するのではなく、この物語、というよりこの作品の存在自体がテーマそのものだったのだということを僕らは、いくらかの感慨をもって思い知らさせるのであり、作品のささやかなプレイ時間はただ、本当にささやかで、本当にかけがえのないそれに気づくためのタイムラグと言ってしまっても良いと思う。