コメント3

  • プレイヤーとプレイヤーキャラクターの関係の議論(茂内)に抜けている視点
    • 「キャラクターのレベル」(感情移入)
    • 「操作のレベル」(コントローラをいじくる)
    • 「自分のレベル」(トイレに行ったりする)
       →チェスのコマを動かすように キャラになりきることはできないのでは?
  • メタルギアソリッド」のパッケージの裏の話 「キャラクターのレベル」であったものが、強引に「自分のレベル」に至らされていた
  • 「キャラクターのレベル」のコスプレ 「自分のレベル」である衆人にとっては「気持ち悪い」
  • ストローとカップで同じ中身を飲んでも ストローとカップに同じものはないという発想 同じ中身であるプレイヤーキャラクターと、飲んでいるプレイヤーという関係性
  • 「人を殺そうと思えば殺せる」自然法則 「人を殺してはいけない」法律
     一定の限度があるマリオのジャンプ(自然法則) プレイヤー間でのゲームルールの共有(法律) rule-breakingという現象の思想的なフィードバックが欲しい(←私見
  • ウィザードリィ」でのリセット技が邪道かどうか ルールの規範性、ルールを共有するプレイヤーコミュニティの価値観次第
  • ゲーム側のrule-breakingとプレイヤー側のrule-breakingのやりとりもあるのでは?
     ゲーム側がルールを変えるのは当然でrule-breakingとはいえないが、壊しているとしか思えないようなルール変更があるのも確か(「たけしの挑戦状」などはそもそも壊れているのをプレイヤーは楽しんでいる←私見
  • エースコンバット04」の無線通信が体験だとはいえないが、この作品自体に体験を強化する仕掛けがある
     プレイヤーが好き勝手にやっていることがゲーム的に意味があるのかどうか ゲームの中での役割があるかどうか:「やりがい」「プレイヤー自意識」みたいな心理の強弱
     物語に対する自分の貢献 手触りとして感じられないことがプレイヤーとプレイヤーキャラクターとの対立に繋がっているのでは
    • 映画は、最後としてオトさないといけない
    • エースコンバット04にオチはない:プレイヤーが今までプレイしてきたプレイ体験→物語のオチとしての受け皿