リバーズ・エンド after days 橋本紡


 ずっと書こう書こうと思っていて、結局書きそびれていた「リバーズ・エンド after days」の感想。
 この巻のあとがきで著者は、「この物語は5巻(前巻)で終わりで、この巻は当初書くつもりがなかった」みたいなことを書いているけれど、それは本当勘弁して欲しいところでした。だって僕には、「リバーズ・エンド」という物語がいったい何を描こうとしていたのか、はっきりと形になって言葉となって伝わってきたのは、この「〜after days」を読んだからなのですから。
 前巻までに繰り広げられてきた、壮大なようで根本的に現実的な視点を欠いていた、気宇が大きいようで致命的な欠陥を抱えていた、稚拙極まりないSF的物語構築は、作品随所で描かれていた少年少女の交流と心象風景の機微に慰められつつも、5巻で決定的に破綻しました。正直台無しだと思いました、最後のあの落ちには大笑いしましたから。
 でもこの6巻「〜after days」を読んでいくと、あそこまで無謀で浅慮なSFは、まるでドッキリ企画のようなリアリティのない救世主像は、彼ら彼女らにとって小さくも大切な自分たちの世界を見つめ直すための大掛かりな"しかけ"に他ならなかったのではないのかなと思えてきます。
 ファストフードショップの窓から見える、通りを歩く見知らぬ人々、全体的だけれどあいまいな世界を救った彼ら彼女たちが、たしかな実感をもって、自らのその手で直接守り、救っていかなければならないのは、自分と自分の大切な人であり、そのことに気づいていく物語こそが「リバーズ・エンド」という作品だったのではないでしょうか。現実世界から強制的に引き離され、失われてしまった絆を取り戻していく(再生)と同時に、新しく変わっていく(新生)物語。
 変わってしまったことは、変えようがないことで過去のこととなってしまうけれども、変わっていくことは、変えようとする意思で未来へと続く現在のこと。自分から変わっていくということは、たゆまぬ努力とささやかな気づきを積み重ねていくこと。1-5巻で描かれてきた、"変えようがない"はずであるべき"未来から来た過去"(すでに確定している未来は過去と同意)を奇天烈な装置で手軽に変えようとするSF的な試みの無意味さは、その描写的な拙さとあいまって、読者にその真実を教えてくれます。
 時間を飛び越えて"こうありたい"(地球滅亡の阻止)という未来へと変化させる、手ごたえのない(未来の人々のためという)他人事の事業を終えて、それを意味づける長い時間の中で彼ら彼女らは、今を生きる現実のなかから自分の丈にあった、自分だけの変化を大切にはぐくんでいく。
 「after days」は後日談という意味だけれど、それは終わりのない現在、決して確定しない未来への道程。著者の手と読者の目から解き放たれて彼ら彼女らは無限の時間と自由の変化を手に入れました。あまりにも近しい、まるで神経回路が繋がっているようでゾクっとしてしまうくらい共感的な紺野七海の心象描写、その眼差しの痛みと、温かみを、僕に残して。

拓己の声を聞いているうちに、なんだか心の奥底がとろりと溶けたようになって、あたしはもうなにも考えず、悩まず、ただとにかく幸せな気持ちで、机の上で揺れる光をぼんやり見ていた。世界はなんて優しいんだろう……。こんなにも幸せなときがあるのなら、片思いの苦しさも、どうしてもわかりあえない親との関係も、左手の痛みも、すべて受け入れられるような気がした。

 この巻でも救われることのなかった、いまだ闇を抱えている七海に、未来の幸せを願う形で共有される著者と読者の繋がりが、著者の心情になにがしかの優しさをもたらせられたらば、と願わずにはいられません。
 最後に。言葉というものがこんなにピュアなものなのだということを僕に教えてくれた、言葉というものに感動させてくれた「リバーズ・エンド」という作品と、橋本紡さんに、感謝。