ギャルゲーをプレイしていて、羨ましくなること

改めて顧みた時、日本では子どもに対し、「○○ちゃんは××なんだよね」と、気持ちを察してくれる傾向が途方もなく強いことに気づく。結果として、分かってもらうことには慣れ親しんでいても、自分から相手に分からせるための労力を払うという訓練を受けずに成長していく。*1

 ギャルゲーをプレイしていて、羨ましくなることって、たとえばどんなことですか?
 たとえば、家事全般が得意で主人公に好意を寄せている幼馴染がいたり、「お兄ちゃん」と慕ってくれる後輩がいたり、というか義理の妹だったり、学校のアイドルがクラスメイトだったり、名前も知らない内気な女の子が知らぬ間に自分のことを慕ってくれていたり、あるいは授業をいつも寝て過ごしているのにテストを赤点も取らずパスしてることとか、両親が不在の一人暮らしだったりすることですか?
 僕が、ギャルゲーをプレイしていて無性に羨ましいなと思うことは、主人公の周りにいるヒロインがこぞって、主人公のことを気に掛けてくれて、そして気づいてくれるということです。
 主人公が悲しい顔をしていれば、「どうしてそんな悲しい顔をしているの?」と聞いてきてくれる、主人公が不安な顔をしていれば、「何が不安なの?」と心配してくれる、主人公が笑っていれば、「何がそんなにおかしいの?」と興味をもってくれる、主人公がやさしい顔をしていれば、「……」何も言わず自分に対する好意を強めてくれる。
 そういった、主人公の思いや感情といったその存在にまつわるあやふやな部分が、(自分)世界の中心にある主導的なものであるということが、自分独りだけではなく、少なくともヒロインとの関係性の中でも真実として肯定されているということです。自分だけの世界であるはずのそれが、ヒロインの世界の辺縁と多少通じている、それがとても、羨ましい。
 ただ、その真実を共有する関係であるのに、恋愛ゴトに限っては、顔を赤らめたり口ごもったりとその強い感情が表情としてアピールされているにも関わらず、互いに異常に察しが悪く鈍感になるのは、真実を前提としたうえでの確信犯的な無効化という"やりくち"が、萌えという感性を構成する基本原理の一つであるからなのでしょうか。
 スク水やブルマやメイド服や猫耳または委員長や下級生や眼鏡っ娘や巫女や幼馴染は、それ自体が社会において通常有している本来的な意味と実用的な価値(真実)を一方的に無効化し、実体を限りなく空想化したうえで、意図的偏執的に再定義することで萌えの価値体系に取り込まれ、概念(イメージ)化した実体として再構成されていますが、それと同じ原理であるのかもしれません。話をしていて突然「顔が赤くなる」という(記号)表情的な現象を、「熱がある」とか「酔っ払っている」という風に決まって認識させることは、意図的偏執的に再定義していることに他なりませんよね。
 自分のことを気に掛けてくれる、察してくれるということは、リアルを生きているとそれがどれだけ奇跡的なことかよくわかります。そもそも自分の気持ちをわかりやすく表情としてアピールすることすら、プライドやその他諸々くだらないことが邪魔してまたは単純に技術的な問題でなかなか難しいことであるし、それがたとえ巧くいったとしても、それを見てくれている、自分を常に気に掛けてくれている相手がいなければしょうがありません。
 相手がいたとしても、(その相手が)自分の表情をありのままの正しい意味の気持ちに変換して受け入れるには高度の分析スキルと、心理的なクリアー性(偏見や思い込みに惑わされないという意味)が求められます。そのうえで「どうしてそんな悲しい顔をしているの?」「何が不安なの?」「何がそんなにおかしいの?」といった、自分の気持ちの明確な説明を求め、そのうえで当該気持ちの意識的な共有を求める意志に基づいた言葉を、相手から引き出そうだなんて、それこそ町外れを歩いていて新式のガンダムを拾ってしまうくらいの奇跡レベルです。ぶっちゃけ、ありえません。
 こういう超ど級の奇跡をいとも簡単に、さりげなく施すことができるヒロインがごく近くにひとりでもいれば、ポール牧も自殺せずに済んだんじゃないかと思うと、悔やまれてなりません。真面目な話。それこそ、一生かかってすら絶対誰にも気づいてもらえないだろうなぁというような思い、むしろ気づかせちゃいけないような思いが積み重なっていく、それら思いの質と量を時に乗じた総計が、自分史というものなのかれしません。
 そして、「自分から相手に分からせるための労力を払う」という技術は、今の日本人には総じて未熟だというのは実感として分かるし、それが改善され、日本人が自分の気持ちを相手に円滑に伝えられるようになったとしても、それは改めて一方的に無効化され、意図的偏執的に再定義されて、ギャルゲーの主人公は永遠に鈍感であり続けるでしょうし、ヒロインは熱が出やすく飲まずに酔える特異体質でい続けるのでしょうね。
 まぁ、ギャルゲーが永遠に続くというのはどうかと思いますが…。

*1:4/4付読売新聞朝刊