ラグナロクオンライン市民社会論

 ラグナロクオンラインとは、ひとつの社会です。そして、そこに集うプレイヤーとは、ラグナロクオンラインという社会の市民です。
 ラグナロクオンラインというMMORPGは、致命的な欠陥を抱えています。それは、キャラクターの個性が銘記された物語性が非常に希薄であるということです。
 壮大な物語を紐解いていくために必要とされる強さ、レベルを確保するためにモンスターを倒すのが本来のRPGであるはずなのに、ラグナロクオンラインというMMORPGは、モンスターをいくら倒してもレベルがどれだけ上がっても、それに見合う物語が全くないために、いつしかモンスターを倒すこと自体が目的となってしまっています(それは"狩り"と表現されています)。
 しかし、"狩り"くらいしか楽しめる部分がないというゲームとして致命的な欠陥が、自由で闊達で奔放ですらある市民性の確立をもたらしました。敵をクリックして攻撃するだけという貧弱なゲーム性は、プレイヤー間のチャットを介した交流を盛んにし、ささやかなクエストが多少散在しているだけという貧相な物語性は、人と人とのつながりを血の通った(限りなくリアルの)物語として大切に浮かび上がらせました。
 そこは、自らの幸福を自らが決定する、独立独歩の市民が数多存在している成熟した市民社会だといってもいいでしょう。
  稚拙で薄弱なゲーム性と物語性であるがゆえに図らずも確立され、多くのプレイヤーがこのゲームを去ることによって結果的に強く結束していった、連帯感をもった秩序ある市民性が、ラグナロクオンラインという社会には充満しています。
 ゲーム性に束縛されないという意味での自由と、ゲーム性が希薄であるという意味での自由。何をしてもいいからこそ生まれる活気と、何もすることがないからこそ生まれる活気が、ある種のシニカルさをもって融合し、誕生したラグナロクオンライン市民精神。
 しかし、僕ら市民にとってもっとも不幸なことは、ラグナロクオンラインという市民社会に民主主義がまったく見当たらないということでしょう。政府はもとより、市民の代表者すら市民自ら選ぶことができない、それこそが僕ら市民のもっとも重大な不正義です。
 グラビティという会社は、このラグナロクオンラインという社会を構築する、いわば立法府であり、ガンホーという会社は、ラグナロクオンラインという社会を管理する、いわば行政府であると言いあらわすことができるでしょう。そして、警察権は行政府に所属しています。これが、ラグナロクオンライン社会をつかさどる政府の構成。
 それら体制側のありようについて、僕ら市民は一切関与することができません。直接的な影響力を行使することができません。市民が市民として保持しているべき政治参加の権利が、全く考慮されていない極めて非民主的な社会なのです。
 成熟した市民性と未熟な民主性、ラグナロクオンラインという社会の最大の不幸は、これに尽きるでしょう。僕らは、市民の義務として利用料金を毎月支払い、立法府の制定した法に基づいて存在し、行政府の指示に従って活動をする、ラグナロクオンラインという社会の正規の市民であるのに、立法府の施策について口出しすることはできず、行政府の措置について抵抗することはできず、体制についての直接的な働きかけをすることもできません。
 僕らはそもそも何もすることができないのです。立法府や行政府、その末端の役人ひとりに対しても、投票行為や署名活動、あるいはデモ、ストライキといったような民主的行動はいっさい認められていません。市民の影響力という担保が一切ないことから、社会に対する市民の意見や要望、批判は、それを体制側が喫緊の問題として取り組まなければならないものであるという意識をもつことは、ないでしょう。
 市民の義務であるところの納税(利用料金払込)は実に厳格に請求してくるのに、彼らの義務とするところは一切規定されていません。βテスト時代からずっと未実装の機能や、アルケミストの一系統スキル全てが現在に至っても全く音沙汰がないのは、それを実装させることが体制にとっての義務ではないからです。立法府にとっては、自らが企画した世界設計思想を、自らが決定したスケジュールどおり完成させることですら、義務ではないのです。
 彼らにとって未実装機能とは、何年後に再度検討する課題として法律に堂々明記された先送り事項のようなもの。自分たちで取り上げておいて、自分たちの都合が合わなくなったばかりに後回しにされます。
 夢のような公約を無責任に連発する代議士候補は、たとえ当選してもその公約が果たされていなければ、少なくとも次の選挙では市民の厳しい審判を仰ぐことになるでしょうが、ラグナロクオンライン社会の立法府は、夢のような新機能を市民に語りながら、それが自分たちの都合で実装できず先送りを重ねようが、自らの責任を市民から問われるというようなことは一切ないのです。
 また、行政府の不手際でたびたび発生するサーバーのエラーと、それに対する巻き戻し&ドロップ率2倍という安易な対策、とその繰り返し。BOT使用者をいくら通報しようとも取り合わない警察機構は、日常的に、神々しく輝く最高レベルのBOTを各マップに溢れさせています。一応、まるで飲酒運転の一斉摘発キャンペーンのように時折大々的に対策が行われもしますが、しかしほとぼりが冷めればBOTは再び以前のように社会を陵辱し始めていく現実。
 通報をしても大概取り合ってくれない、効果は見えない、対策をしてもすぐ復活してくるのですから、僕ら市民はいつしか諦観し、BOTという不法行為者を見て見ぬ振りをします。事実、BOTが大量に仕入れてくれることで特殊なカードやレアアイテムの価格は安定し、BOTベースによる市場経済の"うわずみ"を市民は上手にやりくりして装備を整えているようなものだといううがった見方も、全くの見当違いではありません。
 「BOTを使うのは市民自身であり、それは市民側全体の連帯責任である」という風潮は、体制側の誘導というよりは、βテスト時代の昔より発達しながら今日も厳然と存在しているBOTに対する、体制側対応への諦めから、風化的に必要悪としての認識に至り、裏返し的な合理性をもつに至った"まったくくだらない"妄想に過ぎません。
 サーバー管理の不手際や個人情報漏えいなどに加え、BOTを通報しても取り締まってくれない行政府、未実装機能を次々脇に追いやりながら、ゲームバランスも市民の要望もお構いなしに、次々と手前勝手で無茶な実装計画を発表する立法府
 「自分が何を言ったところで何をしたところで社会は何も変わらない」と市民が思い始めたとき、その社会の民主主義は腐敗していきます。そう、まさにラグナロクオンライン社会は、腐敗しているのです。
 会社が営業活動として捉えている顧客サービスと、市民が政府に対して要求する公共サービスとの食い違い。僕らがガンホーやグラビティに対して抱く不満の源とは、自らがラグナロクオンライン社会の市民であるという意識から生じ、その社会をあまりに無責任にあまりにだらしなく運営する政府が、しかも自らが選んだ政府ではなく、あろうことか今後とも選ぶことができないのだという、途方もない無力感と、際限のない憤り。
 市民は、市民を辞めることはできません。ラグナロクオンラインは社会である前にゲームであるのだから、そのゲームプレイを中止してしまえば、課金を停止させれば簡単に市民を辞めることができると思われるでしょうが、それは違います。
 課金を止めてラグナロクオンラインというゲームをやめることができる市民は、そもそもラグナロクオンライン社会の市民ではありません。
 市民は、市民を辞めることはできません。譲ることのできない家があり、離れることのできない人たちがいる、それが市民。捨てられないからこそ、別れられないからこそ、市民は市民たるのです。
  ラグナロクオンラインというゲームが、ゲーム性物語性共に皆無であるがゆえに、ゆるやかで広大な底辺をもった社会として自立し、多くのプレイヤーが独自の愛着と物語と世界観を根付かせていきました。ラグナロクオンラインというゲーム世界にあって、それとは隔絶した、プレイヤー間の仲間意識が築き上げた全く独自の世界、いわば「箱の中の箱」「庭の中の庭」、内にあって外を遥か超越した"ラグナロクオンライン"というものが、僕らの住まうラグナロクオンラインという市民社会の真実。体制側の作り上げたゲームの俎上ではあっても、確かにそれは、僕らの僕らによる僕らのためのラグナロクオンラインという社会なのです。
 残念ながら、ラグナロクオンライン社会の体制側の腐敗は市民側からはどうすることもできません。ガンホーやグラビティの代表取締役の任免についてプレイヤーの投票に委ねるというようなことはできないでしょうから。しかし僕は提言します。市民側の代表者を市民自らの選挙によって選出し、体制側と対等の立場で協議する常設の委員会を設置してはいかがでしょう。
 その場に第三者を招いて市民と体制それぞれの活動を監視してもらい、中立的立場で意見や報告をしてもらうというのもいいかもしれません。市民の間にわだかまる閉塞感を打破するに、まず「確かな事実」と「確かな言葉」が必要なのです。そのためにもまず市民側と体制側が同じテーブルで話し合いの場をもつべきなのではないでしょうか。
 まぁ、これに近い形としてオフラインミーティングがありますが、これについては、まず参加者を会社側が行う抽選によって決めました。それに、実質的には参加者が質問しそれに会社側が答えるという会見形式だったということもあり、とても対等な話し合いだったとはいえません。「こうして欲しい」「それはできません」の応酬からでは何も生まれてはこないのですから。
 管理を各世界の代表者に一任した、ワールドごとに分かれた領域を公式webに設けるというのはどうでしょう。そのエリアはラグナロクオンラインにログインするのと同じようにIDとPASSを設定し、キャラクター単位で入場し、そこで発言する場合もキャラクター名で行います。そうして責任ある市民による話し合いの結果を代表者が取りまとめて会社側に提出し、そのうえで先述の委員会で話し合われることになります。
 もちろんそのワールドエリアでは、有志による各種イベントや蚤の市開催、結婚式やボス退治といった小イベントの告知も受け付けます。市民が主催する個人webにリンクを張ったり、伝統あるラグナロクオンラインのファンwebと相互交流するというのもよいでしょう。
 ラグナロクオンラインというゲームはいざ知らず、ラグナロクオンラインという社会は、株主のものでも会社のものでもありません、市民自身のものです。その市民は事実的にラグナロクオンラインというゲームのサービスを利用している顧客であり、ラグナロクオンラインというゲーム(MMORPG)は、プレイヤー同士のつながりによってゲームとしての根本を成り立たせているのですから、つまりラグナロクオンラインというゲームは、ラグナロクオンライン市民社会そのもの。
 ガンホーやグラビティの提供しているサービスは、ラグナロクオンライン市民がラグナロクオンライン市民である由縁に通じているのです。サービスがサービスとして成立し多くの顧客を呼び込むためには、そのゲーム内社会が成熟していることが絶対条件で、それはプレイヤー(市民)たち自身に委ねなければなりません。彼らの思いに。
 それらの点をきちんと理解し、かつ的確に運営に反映できなければ、彼らにMMORPG運営事業で日の目を見ることはできないでしょう。無責任な推測ですが、なぜか確信することができますね。
 幸か不幸か成立した成熟したラグナロクオンライン市民社会に、ふさわしいラグナロクオンライン民主主義を。1プレイヤーとして、1ファンとして、そして1市民として、そう願ってやみません。