僕はCG収集に関してはふだんから全然取り組んでいないのですが(だってキリがないじゃん)、たまたま見つけて、懐かしくなってしまいました。
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/3052/cg/cg228.jpg
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/3052/
絵は、ラグナロクのプリさんがピアノを弾いている絵。僕ぁ、ピアノに弱い。グランドヒアノの全身を描いている萌え絵って見たことがなかったので、印象に残りました。
というか、ぱこさんが懐かしかった。
昔「filworks」っていうサークルがあって、その構成員だった「やるドラ愛好会」さんとアニソンを通して親しくしていて、その関連でぱこさんのことを知っていました。一度コミケのブースにお邪魔したので、挨拶くらいはかわしたかもしれません。
http://members.filworks.com/kengo20/
サークル自体はすぐ解散してしまったんですけどね。やるドラ愛好会さんとも音信不通になってしまって。僕だってハンドルネーム変えたりweb変転したりニュースサイトに手を染めた挙句今じゃはてなってますが…。
僕は性質上同じことを長く続けていられない人間で、いつまではてなっているかもわかったものじゃありません。そうやって、いろんなコトやトコロに移って行ったりするとどうしても、人とのツナガリも失われていくのですよ。僕にとってそれはもう宿命みたいなもので。だから、ひとっところで長い間、日記とかずっと続けている方や、人の繋がりが長期間失われていない掲示板を見かけると、無条件で尊敬してしまう。敬服してしまう。
ひゅぎぃさんとか。http://www.733x.com/
もうね、僕にとっては神ですよ。「僕はネットでいったい何やってきたんだろうなぁ」と自己嫌悪せずにはいられない。
ぱこさんは、実は有名な絵師さん。ラグナロクに走ってましたのか。僕もラグナはすごいっすよ。なにせもう何ヶ月もmob叩いてないだとか、Gvには月に1度参加できればいいほうだとか…。ただの2次元萌えキャラなりきりチャットソフトに2垢分3000円払ってます。癌呆マンセーです。
そういや、さっきまで見てた夢で僕はミサトさんに「毎日うがいしてるんで風邪ひかないっすよ」と話していました。季節の移りぎわだけに寒暖の差が激しく、体調を崩しやすいので、みなさんもせめて毎日のうがいは欠かさないようにしましょう。
あと明治アーモンドチョコレート。http://www.gungho.jp/meiji/?ref=RO
読売新聞の1面にベネッセの調査結果が載っていました。
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20051006i501.htm
最近の子どもは少子化の影響か親の保護が行き届いていて、早寝早起きといった規則正しい生活、テレビゲームよりもトランプやパズルで遊び、公園の遊具や砂場などで親と一緒に外遊びに興じている傾向が強いのだそうです。
もちろん、この手の調査に協力する家庭が"時流に鑑みて見栄を張っている"可能性とか、そもそも"優等家庭"という自負がなければ調査に協力しないだろうし、玉石混交な子育て情報にあふれたこの社会、"劣等家庭"を自負しつつ適宜やりくりしているのが大部分の家庭だろうとも思うので、この手の調査結果を鵜呑みにすることはできないような気もします。
29面の人生案内では、朝も土日も関係なくテニス部の練習漬けになっている中1の娘に対し、「そんながむしゃらに頑張ったって技術が向上するとは思えない」「もっと他にやることがあるんじゃないか」という悩みを寄せています。それに対し相談者の人は、「家事も読書も後でできるが部活動は今しかできない」「仲間と一緒にひとつのことに打ち込むのは貴重なことだ」という回答をしています。冷静でごもっともな回答だと思います。
とはいえ、本当は辛くてたまらなくても本人がぐうの音をあげることのできないのが中学部活動の暗黒面。それに部活動一辺倒にならずとも、さまざまの有意義な社会活動や文化活動の端緒が今の世の中そこかしこに転がっているし、部活動性善説固執するのもどうかと思います。
結局、いまどきの親は子育てをプリンセスメーカー的なものとして捉えているんでしょうかねぇ。
自分の働きかけで自分の子どもは成長・変化するものだ。
自分以外の働きかけで自分の子どもが成長・変化することはない。あってはならない。
うまくいくこと・いかないこと含めて全て自分の影響下であるということの安心感・所有(一体)感を損なわれたくない。
プリンセスメーカーをプレイしていて、自分が働きかけたことじゃないのにある要素において娘が成長したり、変化するのは承服しがたいでしょう。「そのゲームシステムは間違ってる」ってことになっちゃう。自分が働きかけたことじゃないのに変化するのはバストの大小くらいであって、それは小さかろうが大きかろうが誰もがホクホクの"遊び"の部分。
「理想の子育て像」「模範的な生育スケジュール」みたいな曖昧で確固としたものがあって、そんな形なき漠然に沿ってどの親も子どもを育てようとしている。ただでさえ危険や不埒やケータイが跋扈する社会だから、親たちは徹底して保護し規制していくしかない。そうするとどうしても"遊び"の部分が磨り減っていってしまう。
すると、少しでも自分の管理を逃れたり、「理想の子育て像」「模範的な生育スケジュール」を外れたりするとどう対応したらいいかわからなくなって、混乱して、とんでもないことをやらかしてしまう。
そして、自分が善だと信じていたもの、子どもにとって最良だと思っていたものが、ただ自分の欲望の正当化に過ぎなかったということに気づく。それはもうとっても遅い。
つまりですね。子育てには"遊び"が必要なんですよ。おっぱいが大きくなろうが小さいままだろうが「それはそれ、これはこれ」として全て受け入れていく、寛容で節操なしな無国籍風心構えが求められているんですよ。
いや、それはどうだろう。