約束するサル

約束するサル―進化からみた人の心

約束するサル―進化からみた人の心

人類誕生以来幾多もの淘汰圧にさらされ進化し続けてきた遺伝子を受け継いで、僕らは誕生し、規定された通りの個体として生を受けるという意味で、それは運命的といえます。顔がイマイチだったり太りやすいのは遺伝のせい、逃れられない運命なのだというわけです。
けれども社会や環境によって、あるいは本人の努力によって個体としての僕らは如何様にも変化していけるでしょう。ある社会ではイマイチでも別の社会ではイケメンで通るかもしれないし、ちょっとした配慮と習慣で人は案外たやすく痩せられるものです。
人間は遺伝子には逆らうことができないという機械的虚無思想と、人間は社会や文化を作り出し自律的に変化していくことができるという誇り。その相互作用領域において僕らは、自ら「こうありたい」と願い、望む姿(有形無形の)を実現していくことで成長し、周りに適応していきます。そうやって自らがここに存在していることの意味を考え、求めずにはいられないからこそ、こうありたいならああだ、ああなりたいならこうだというふうに、遺伝子、あるいは自然についても意味づけを行わずにいられません。それが運命であれ、なんであれ。
けれども、「遺伝子の存在や進化というプロセスには何の必然性も意味もありません。ただそれは存在するだけ」。
遺伝子が"指図する"自分の心、社会や文化が"推奨する"自分の心、自身が"創造する"自分の心。さまざまな心に及ぼす要因のなかで、必然性があるのは、自分であるから、自分の心をもっているということだけなのでしょう。
それらいくつかの、当然にひとつだけの心と、僕はきっと約束するのでしょうね。"彼ら"と協力しあうことが僕にとって一番の幸せとなるように。信頼を基盤にした互恵的利他行動とは、個体同士だけではなく、個体内の心のありようについても当てはまるような気がしてなりません。
この文脈でいう信頼とは、「自分の気持ちに素直であること」であり、互恵的利他行動とは、「自らを生かすこと」。なんて書くと途端に安っぽくなってしまいますね。(18/100)