歌姫のしなやかな実在

16日にフジテレビで放映していた、「金曜エンタテイメント追悼特別企画『天使になった歌姫 本田美奈子.』〜夢と闘いの38年〜」を観ました。
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2005/05-416.html
とはいえ、母親が観たいというので録画して、一緒に食事しているとき観たいと言い出したので、見るとはなしに見ていただけなのですが。
歌姫というのは本当にいるものなんだな、そう思わずにはいられませんでした。
そういえば、アニメ「ARIA The ANIMATION」第11話「その オレンジの日々を…」。
http://www.ariacompany.net/
お話のメインはウンディーネ三大妖精の回想シーンで、仲良し3人組が出会うきっかけと合同練習の逸話でした。
その中で、あまりの天然ボケ・ドジっぷりをさんざ見せつけてきたアテナが、合同練習で2人にせかされて舟歌バルカローレ)を披露することになったんですが、「まるで別人のような」あまりに素晴らしい歌唱にアリシアと晃が口をぽかんと唖然、陸にいた人たちがこぞってうっとり聞き入ってしまうというようなシーンがあるんですね
でもその曲は、アテナ役の川上とも子さんが歌っているのではなくて、河井英里さんが歌っているんです。「まるで別人のような」というのは、実際別人だったのです。
本田美奈子.さんが入院している病院に、高名な作詞家で彼女が芸能界の母と慕う岩谷時子さん(加山雄三「きみといつまでも」の作詞)が怪我をして入院されてきます。本田さんは携帯電話の音声メールで毎日のように岩谷時子さんとやり取りをしていました(本田さんは無菌室から出られないので、直接会って話すことができない)。
その口調があまりに子どもっぽくて、それは母親というよりは、いつも可愛がってもらっているおばあちゃんにめいっぱい甘えているような態度。おかしくて僕も吹き出してしまう。けれど毎回のメールの最後に1曲の歌を彼女は吹き込んでいました。
あどけなくて、無垢で、とろけてしまいそうなくらい愛らしい口ぶりが、ごく自然な流れ、ごくやわらかい瞬時、やおら穏やかに歌い始められる凛々しくも美しい「AMAZING GRACE」。「まるで別人のよう」だけれどもまさしく本人であることに違いなくって、それはまごうことなき歌姫なのです。
歌姫。
普段の言動からは想像もつかない(人を感動させてやまない)歌をもつ人というのは、外面からは窺い知ることのできないその内面に、豊穣で深刻で過酷で優しい、まさに「まるで別人のような」圧倒的で致命的な世界が広がっているんですね。けれどその世界が、実際の体験から獲得されたものなのか、それとも天性のもの(あるいは想像・フィクション)なのか、僕らにはほとんどの場合わかることができません。
コンサートホールのステージに立っている歌手がいま歌っている、その世界を構成している内面がいつか経験したことに由来するものなのか、経験するわけないことなのか、わかるわけがないじゃないですか。言い換るならば、想いというのは確かにあって、それが歌に込められているのを僕らは(意識的に)聞き取ることができるけれど、歌い手のその想いが自身という現実のどこかに着地しているものなのか、気分という"そら"のどこかを浮遊しているものなのかということは、やっぱりわからないのです。
臍帯血移植が上手くいって、体調は目を見張るほどの勢いで回復、リハビリも順調にこなし、ついに退院できるという日。本田美奈子.さんはナースセンターの前にやってきて、それまでお世話になった人たちのために「AMAZING GRACE」を歌います。その歌を聴いた担当医が、こんなんことを言うんですね。

私は普段あまり歌を聴かないので、歌のうまい下手はよく分かりませんが、あれほど心のこもった歌を聴いたことはありませんでした。これからもあのような歌を聴くことはないと思います。

本田さんの人生の、おそらくもっとも過酷だったろう部分にじかと触れてきた担当医だったから、そこから這い上がって、晴れて退院の日を迎えたことの真実の喜びを、それが彼女自身にしっかりと着地している想いであることが手に取るようにわかる(心のこもった歌であるということが"わかる")。だからその歌は、うまい下手じゃない(もちろん本田さんの歌唱力は確かなものだけれど)それどころじゃない如実さで担当医の心に深く浸透していく。
まず人生があって、そこでの感懐を誠実に、実直にありのまま想いとして歌へ"ほぐす"ことができる、それが彼女にとって当たり前の"現実に臨む態度"。そのしなやかさこそが歌姫の歌姫であるゆえん。そう僕は思うのです。
歌姫の確かな想いとして、本田美奈子.さんの「AMAZING GRACE」をしっとりと聴く僕ら自身の現実にも確かに着地していく、想い。まだ見ぬ誰かの人生についてすら他愛なく注がれる、無上の礼賛。
歌姫は僕らを救う。けれど歌姫は自身を救うことができるのか。誰が彼女を救うことができたのか。少なくとも僕は、無菌室から送信されているとは思えないキャッチーな絵文字溢れるメール文体が、あどけなく、無垢で、とろけてしまいそうなあの愛らしい口ぶりが、無性に嬉しく思えてしかたがありませんでした。
普通であること。特別なものではないと感じること。幾人かの母親やたくさんの友人に囲まれて過ごすぬくもり、ごく普通で特別なものではないそんな幸せに救われていたなんて、それすら僕らにとってまたとない救いなんですよ……。