tsukimori2006-01-19

さくらむすび」の修正済カレンダーが早くも送られてきました。
考えてみれば、普通一ヶ月間も眺められることなく、切り離されめくり返されてしまうカレンダーの表紙というものを、こころゆくまでいつまでも眺めていられるというのは、稀有でうれしいことなのかもしれません。
満面の笑顔と、たこさんウィンナーと、ぱんつ。これほどまでに満たされた素晴らしき世界を。どうして切り離すことができようか、どうしてめくり返すことができようというのか。
いや、表紙だけ切り離して別の場所に貼り付けておけばいいんだけどね。

抱き枕を買う人の気が知れないのだが…自分で買ってどうすると。自分の気が知れぬが、まあ注文しないと負けかなって気がした…ってのがあるかも知れない。

なんていうか、「もっと素直になろうよ!」と僕は声を大にして言いたいw
しかし、ネタであれ生活実用性を謳ったギャルゲー特典類、マグカップにしろ目覚まし時計にしろ、形式としては実際の生活用品として使用に耐えていたけれども(「Never7」の特典マグカップは今でも愛用)、抱き枕に至ってついに生活実用性を手放した感がありますね。抱き枕を抱きながら眠ることは実際できないでしょう(少なくとも僕には無理そう)。それに抱き枕は置物でもないのに、どこかに置いておくくらいしかやりようはなさそうだし。
タテマエ的な意味での生活の充足から発展して、途方もなく場違いな扱いを余儀なくされる抱き枕の流行は、もしかしたら、消費者の共感を意図した身近の着想から現じて、途方もなく空想的な思想を紡いでいくギャルゲー文化の潮流の、意図せぬメタファライズ(あるいは象徴)なのではないでしょうか。
しかし、タテマエであり繋がりでもあった「身近」「生活」というスタンスそれ自体が、既に実際のそれらとは似ても似つかない、ただの「形骸化した言い訳」にすぎなくなっているではないか。そして、「それがどうした」と開き直って半ば意図的に暴走していこう、自らを煽っていくような姿勢を、僕には抱き枕という商品の「意味づけ」に感じ取ってしまいます。
それは不毛なタテマエであり、危険な共感をもたらしかねないとでもいうように。むしろギャルゲー文化の紡ぐ文化や思想を、自身の身近で生活に根ざした人生観へ取り込むことなど厳重に慎まなければならない、ありえないことだと言い放つ悪意的なシニカルさ・自己欺瞞が、抱き枕からぷんぷんと匂ってくるような気がしてならないのです。
僕は、だからいつまでも「抱き枕を買う人の気が知れない」でありたいと思うわけです。ギャルゲーという文化(思想)から"なにかしら"人生観的なテクスチャを味わいたいと思っているから。味わえるものだと信じているから。
それこそ「形骸化した言い訳」に他ならないのはわかっているんですけども。

風邪をひいている人が、タバコを吸いこんだとたん咳き込んでいるのを見かけると、僕は猛烈にツッコミたくなります。
「おまえバカだろ?」
僕は(母親を始めとして)喫煙者に日々悪意を感じてはいますが、この世からいなくなって欲しいとまでは思っていません。せめてこの地球からいなくなって欲しい、そうやさしく思う程度のものです。ホリエモンの作ったポンコツロケットに乗って月あたりに喫煙基地をこさえて、そこに定住していただけたらどんなにか良いだろうと思います。
タバコを吸う人が自分の健康を気にして禁煙しようかと思うようなことが、どれほど自己中心的な発想であるか肺身にしみてわかるはずです。
禁煙しようとする人は、ほぼ間違いなく他人の健康を気にしてのことではありません。京都議定書の精神に則り二酸化炭素の排出を抑えようと思うのは、ほぼ間違いなく地球の環境を気にしてのことではありません。そこに求められるのは、排出規制と多額の罰金であり、販売量の規制あるいは1人当たりの購入数制限、そして高率の税金。害された地球環境と他人の健康、その痛みをこっぴどく現世的なカタチで与えてやらねばならないのです。
あ、そうそうホリエモンは戻ってきてくださいよ、この地球でちゃんと責任とってもらわなければなりませんから。