まぼろし

雪が降った後この晴れがましさはいったいどうしたことだろう。降っているときの白は時間と感覚を無にするけれども、降り終わったあとの白は無ではなくむしろまばゆい光。
まばゆい。光が明るすぎて、まともに見られない。まぶしい。まばゆいというのは、今現在起こっている「光の明るさ」についての知覚であり、かつて知覚していた「光の明るさ」について原因となる現象を一般的に指し表す言葉が、まぼろし。時間軸を取り払ってしまえば、「光の明るさ」という実在の強靭さについて変わりはしない。
だから、まばゆい、「まぼろし」。

シスター・プリンセス Re Pure - まぼろし / 君と生きていく

シスター・プリンセス Re Pure - まぼろし / 君と生きていく

僕はこの曲を三桁単位でさんざ聴いてきたけれど、どうしてこれほどまでに強靭に実在する音楽が、「まぼろし」なのだろうと、ずっと奇妙に感じていました。センチメンタルを踏み外していっそヒステリック、音響的に刺々しく荒々しくすらあるボーカル。ジュヴナイルなシンセを断固と鋒鋩し、まごうことなき現実へ定着を図ろうとするピアノとロック。てんでまぼろしなんかじゃないじゃないか。
それどころか、(過去のものである)まぼろしを、(今日のものとして)まざまざとまばゆく感じさせるこの音楽形象こそが、そもそもcan/gooの"成り立ち"だったのではないかという気すら今ではしています。古今伝来の甘っちょろい感傷主義を吹き飛ばし、痣々しい実力主義こそが僕らのロマンと切り結び、鍔迫り合いし、濃密に沸き立つ熱き血潮がなんとも生々しく、清浄に美しい。強烈な一途の想いその叫びが、僕らのユルいまどろみを揺り起こしたのです。

誰よりあなたの声が聞きたくて
目眩くこの世界迷っても
いつだってあなたを信じてる
ここで微笑っていて あともう少しだけ
・・・さよならの前に

僕は、あなたから贈られたこの歌を、その声を、いまいちど贈られる。目眩くこの世界迷っても、いつだってあなたを信じてる。
can/gooの活動再開を心よりお待ち申し上げております。