うたわれるもの1-3話

しっぽが女の子にとって敏感な部分だというのなら、どうしていつも剥き出しにしているのだろうと思うアニメ「うたわれるもの」ばかりを、最近は繰り返し見ているような気がします。本当はゲームをプレイしたい。夏まで待てないよ!
1話冒頭にしてエルルゥがハクオロのことを慕っているのがごくミエミエで、話を通して既定化されていくその爽やかな思慕は、まるで母性愛のように無条件で心地よく、同時に清純なヒロインとしてやさしい。その単純すぎる安らぎが、三国志を思わせる大河ドラマによって運命的な愛へと昇華されていくのであろうことを、簡単に想像できるだけで、幸せになれそうなくらいです。
良く出来ているなあと思ったのは2話、村人達の集会でハクオロがムティカパの弱点を看破したシーン。「あいつは…ムティカパは…」「…どうにかなるってことだろ?」とのやりとりで、森の王である"ムティカパを殺せる"という事柄を一同で分かり合う。期待から恐れへと変化する村人達の表情。言外のやりとりで済ますことで、それが言の葉に乗せることすら憚られるほどの禁忌であることを切実に表現しています。
そして、ムティカパを退治する作戦に際して躊躇する村人に対し、ハクオロは自身が犠牲になることを提案します。それを咎めるエルルゥに対し、
「自分ならいなくなっても悲しむ者はいないからな」。ハクオロはこう述懐します。
しかしそもそも、このような本心を話す相手であれば、自分がいなくなればおそらく悲しむに違いないのだという、聡明なハクオロにしては無知で矛盾した、卑怯な言い回しだといえます。1話でヌワンギを前にして臆面なく「エルルゥは家族だ」と言い放ったのとは打って変わったその情の疎さは、知的で常に冷静なハクオロについて、精神・感情面での不安定さを設定的に、そして共感的に描写しているのですね。慰めてくれるヒロインを前にして自身を卑下する主人公は、いかにも母のかいなに抱かれながらぐずる赤子のようで、どうしようもなく嬉しい。この時点でもう僕はハクオロから離れられなくなっているわけです。
さらにはエルルゥがハクオロを「お父さん」と呼ぶ「わけがわからない」しぐさは、本当「わけがわからない」くらい可愛過ぎてこたえられず、1-2話は地味ながらも温かい、個人的には傑作ではないかと思っているくらいです。
しかし3話は少しテンションがダウンしてしまいましたかね。そもそも繋ぎの話なのでしょうけど。短絡的な動機や省略的な展開、侍大将の不可解な饒舌と意味不明な行動、それにしては益々見え透いてきた周辺事情など、いきなり世界が軽薄化してしまったような印象。また、アルルゥとハクオロが一緒に蜂蜜取りに行くほど仲良くなっているのは、嬉しいけれどさすがに端折りすぎでしょう。正直、ちょっと興ざめしました。
特に僕が残念だと思ったのは、2話で見せた演出の切れ味が喪失していたことです。公式webでは「落人の流入などで山里の食料が足りなくなっていた。すでに財政までもまかされていたハクオロの悩みは…」と書かれていますが、それを劇中で明確に読み取ることはできませんでした。彼らの受け入れを表明するトゥスクルが、沈黙するハクオロのことを横目で見るシーンがありましたが、それは少なくとも劇中において意味不明です。
物語が省略されるのは、そもそもゲームではなくアニメなのだから仕方がないし、僕自身原作未プレイだからより一層そう感じるというのもあるでしょう。急転直下する物語も話数が限られているのだからやむをえないといえます。またまた中原麻衣なのも我慢できます。しかし、少なくともあらすじに表記されていることくらい劇中で普通に読み取りたいものです。
3話のような短絡的で省略されたスタイルで、今後の大河的戦乱ドラマ(予測)を描いていくつもりならば、僕の印象に残るのは今回の1-2話と、せいぜいハクオロ個人の活躍(含むアルルゥとの仲)だけという事態になりそうです。ま、見続けていくことには変わりないんですけどね。