ヒトが人を思うのりしろ

TALK to TALK 初回限定版

TALK to TALK 初回限定版

新しいエロゲーを買う金もなく、なんとなく「Talk to Talk」を再インストールしてここ2,3日プレイしていました。Rけんさんのwebは時間が止まったように未だバレンタイン絵ですが、そういった意味では、僕も大差ないのかもしれません。
大好きな白倉素直シナリオを味わいつつ、今回は法月みさきシナリオをじっくり読むことに。前回プレイしたときは、「良くできてるけど痛いシナリオだな」と、実は少し苦手だったのだけれど、日を経るにつれて苦手意識に疑問がわいてきて、「実際どうなんだ?」とばかり、暇持て余しついでにこうしてリプレイしてみてわけなのです。プレイを終えて、その程度の痛みではむしろ申し訳ない、主人公のことをもっとねちっこく痛めつけても、泥沼にしても良かったのではと思っている自分にビックリ。そんな甘っちょろい痛みではこの真実と"釣り合い"が取れないのです。
ヒトに似せられて造られた、人工物としてのカレに感情は宿るのか。この命題に取り組む機関(システム)の実験としてとある高校に送り込まれた主人公は、法月みさきと出会う。彼女に好意を寄せられ付き合い始めるものの、「好き」という気持ち、感情というものを理解できないカレは、彼女の想いを汲み取ることができません。さらには記憶障害によって発生したみさきの姉・茅野に対する懐かしい想いが、みさきへの理性的な思いの間で葛藤を起こし、苦悩することになるのですが。
自らが人工物であり、感情を持たない無機物だという主人公の認識はどこか、自分は世の中に望まれてないと思い込んでいる、感情をもてあましながら本心を見失っている昨今の青少年心理に、通じているような気がするんですよね。感情を持てないと"思い込む"主人公と、感情の制御ができない彼らは、結局のところ同じなんです。自らの感情を通じて相手の思いを感じ取る、思いやることができないという点において。
当然の帰結としてみさきは心に深い傷を負い、直接吐露はしませんが主人公もまた傷ついていることは、プレイヤーにとって見え透いたこと。クライマックスで主人公自身が気づき、彼女が傷ついているように自分も傷つき、自分が苦しいように彼女も苦しいということがわかり、みさきを悲しませていることが悲しいと心から感じて、カレは初めて涙を流します。
涙を流すという感情の頂点、感極まった無防備な精神の告白は、そのままのりしろとなってヒトと人を同じ世界に結び付けます。人と人がいる世界に。

独占欲、嫉妬心、怒りに……憤り。俺達が抱いている感情は、水のように澄んだ感情ではない。相手が思い通りにならない事に苛立ち、自分の感情さえもコントロールできずに腹を立てる。だが時として、相手のために自分自身を傷つけたりもする。上澄み、そして水底に沈殿した血のようにドロドロした感情。上澄みだけでは形にならず、かといって澱みだけでも形にはならない。複雑に混じり合い、絡み合って……一つの感情になる。……ヒトは多分これを『愛情』と呼ぶのだろう。

好きだから思いやるのではない、苦しみと思いやりのさなかに好きな気持ちを見つける主人公の無垢で眩しい恋愛観は、とても美しくて。と同時に、テレビやディスプレイに向かってではない、誰か相手を前にして涙を流すということを、恥かしげもなく本気で泣くということを、僕はしたことがない気がするし、している人を見たこともない、おそらく青少年の方々もしたことがないんだろうなぁと想像したとき、「システム」が実験対象にしたのは、人工物のカレだけれども、「Talk to Talk」という作品の実験対象は紛れもなく……。カレのように誰か(近しい・親しい・愛しい人)と面と向かって率直に泣きたいと、僕らに思ってもらおうとしたのかもしれませんよね。
相手に涙を見せる、見せられるという鼻のツンとするような告白はまず間違いなく、お互いかけがえのない関係なのだと、世の中に望まれている存在なのだと約束しあうことだと思いますから。