半分の月がのぼる空

半分の月がのぼる空―looking up at the half‐moon (電撃文庫)半分の月がのぼる空〈2〉waiting for the half‐moon (電撃文庫)半分の月がのぼる空〈3〉wishing upon the half‐moon (電撃文庫)半分の月がのぼる空〈4〉 grabbing at the half-moon  (電撃文庫)半分の月がのぼる空〈5〉 long long walking under the half-moon (電撃文庫)半分の月がのぼる空〈6〉 (電撃文庫)
本当、かわいい物語だなと思いました。
里香のツンデレや裕一のヘタレを始めとして、友だちや看護師、先生の変テコな個性がとてもかわいらしく、それら底流に流れる子どもっぽい意地の張り口が、悲壮的ともいえる物語(テーマ)や、片田舎っぷりに執着した世界観をアホらしいほどカラっと清々しいものにしています。無茶な筋書きや論理展開も、かわいいから許せちゃう。
橋本紡さんの語り口は、現象と現実をあどけなくすくい取り、自意識過剰の鮮やかな感傷を朗らかに共感させます。SFに陥らず(むしろ懲り懲りなわけですが)、かといってリアリティがあるわけじゃなく、ノンフィクションいうのもおこがましい(不治の病におかされた[からこそ]絶世の美少女という設定は、病というものをあほ毛や眼鏡と同等の美少女附属レアアクセサリー扱いしているようで、やっぱり少し辛[から]い)。本質的に人間を侮辱したご都合主義(妄想)にあって、けれど"のほほん"としたほいっぷな文章術がたぐいまれにやわらかく、だからか人生的な言葉たちが心の底にすとんと落ちる、言うに事欠いて身につまされる、僕の似非ヒューマニティを迷子にしてしまう。
「ま、いっか」「だって、かわいいんだし」
一筋縄ではいかないくだらなさ、突拍子もない発想と、ひどく鮮明なシーン(言葉)の数々。これこそ、ちぐはぐでどきどきの平凡な思春期《オリジナリティ》なのかもしれませんよね。型にはまらない表現と、屈託のない情感は、こんなんじゃあ大人のコトはたぶん描けないだろうけれども、それは喪失ではなくむしろ獲得、だってライトノベルなんだもの。ライトノベルは人間というものを描くのではなく、大人になりきれない少年少女を描く。浅はかであるのを自覚しているからこそ、(人間の)深い部分の存在を予感させることができるわけです。
お約束線上でかわいい青春ステップを踏む彼と彼女たちが、にもかかわらず恋の始まる軌跡を巧妙に描かれていないのは、それこそ夜空を見上げればたいてい、月はなんらかのカタチで昇っているものだからでしょう。だからいっそ、恋とか夢とか将来はどうでもいい。君の場合はテトリスで、僕の場合は4人打ち麻雀だったということが、この際は重要。
父親に対する裕一の複雑な思い、その赤裸々でデタラメな1人称描写こそが僕にとっては現実的で、親近的で、その"酷似"っぷりが、裕一と里香の甘く寂しいエンディングを、現実にしてはおけず、かといってファンタジーとも言い切れない、ゆるくしあわせな"歯切れの悪さ"を生じせしめているのではないかと、思ったりするのです。
僕にとっては、ですけどね。