定時報告

勤務時間と、通勤時間と、睡眠時間と、風呂・飯・メール/ネットチェック時間を合計するとあれ、24時間越えてるよ?
「これが社会人というものなのね」。
そんなこんなな6月が早くも終わろうとしておるわけですが。こんなライフスタイルじゃ、ブログに書くことがありやなしやではなく何かする時間自体ないってばよ。
現実というものは、個人がそれとして認識できる範囲内において最大限、圧倒的なものとして迫ってくる性質にあることをまざまざと思い知らされる日々。なんの因果か僕の目の前には背の低い車椅子があって、無料だ1割だ3割だと頭を悩ませ、お年寄りたちの干乾びた笑い声が聞こえてくる。ああ、こういうモノが現実だったんだなと、久しく忘れていた、埃だらけの感覚と概念が活性化し始めていく過程を、這いつくばっているようです。外の世界というよりも、それと対峙している自分の感覚器と思想全般の戸惑い具合がいっそ、僕には新鮮だったりして。今まで僕は何をやっていたんだという先立つ灰色を抱えながら。
だからなのか、このにべもない現実に生活の大部分を関わらせつつ、なおかつアニメやエロゲーに関わるテキストを無責任に書き殴れることが、今の僕にはとうていできない。ほんの数駅先の秋葉原に行きたいとも思えない。なんなんだろうこの興味喪失は…。以前はあれほど親近感を覚えていた二次元が、今はひどく遠いうつろで。
ネットは手段に過ぎなくて、ブログは思想の遊休地に過ぎない。目の前のリアルは思想を遊ばせておくほどまったく生易しいものじゃなく、そもそも僕の思想はなんて貧困なんだろう。思想が豊かならば現実を旺盛に取り込んでさらに広がってゆく(ブログ化できる)のだろうけれど、僕と思想は常に消化しきれない内容物に咽ている始末。アレを考えればコレは排他される狭隘なキャパシティは、日々是致命的。みんな生きている。淡々と生活している。なんて圧倒的すぎる現実だろうと僕は白々しいまでに堪えられないくらいなのです。
思想容量が貧困だからこそ、些細なことで胸がいっぱいになる。だからちっちゃな胸は共感するように素晴らしい。僕の貧困な思想はちっちゃな胸で胸がいっぱい(夢いっぱい)。僕は夢が見たいよ触りたいよ吸い何を言ってるんだね君は。
もう寝ます。おやすみなさい。ああ、週末ってこんなにも素晴らしい……。