なけなし給料が出たので、夏コミ資金に温存しておかなければならないけれど、電動鼻毛抜き機だけは買おうと思います。エチケットは大事ですものね。

mixiとか、SNSというサービスがいま流行しているらしく、読売新聞でもたまに取り上げられているけれど、僕にはそれがなんなのか、どうして使う人が多いのか、いまいちよくわかっていません。
可能性のある全世界の誰かに閲覧されることを先天的に願望して、個人のワークはネットワークへと接続していく<インターネット>ものであって、世界と関係の内実を自ら規定しないからこそ、できないからこそ、そこには果てしない<不可逆性の夢>があるのだと僕などは思うわけで。誰かれにも見られたくはないけれど、特定の誰かには見られたいというような、複雑でご都合的な"親戚系わがまま"は、きっとそんな夢を無邪気に限定してしまう。安全に壊してしまう。
というような僕の信条はどうでもいいとして。僕がいちばん解せないのは、「mixiを書いてます」とか(オープンにされている)ウェブに公表する人がいること。昔なら、「裏ページ運営してます」と表(?)で公表する人をよく見かけたけれど。ウェブによる不特定多数の閲覧を実際に拒絶しているmixiを、運営していることを、ウェブによる不特定多数に知らしめることの意味を、僕はまったくはかりかねるのです。
mixiが優れていて、ウェブが劣っているという見解についてとやかくいうつもりはないし、逆もまたしかり。mixiも書いているからウェブの更新にあまり時間を割けられないんだよ、という言い訳のつもりならそれはそれでいいのです。
人それぞれに様々なつきあいがあり、友達の多寡や、人望だって人それぞれでしょう。子どもの頃はいざ知らず、大人になってまで、友達の多さや人望について自慢するようなヤツは滅多にいません。それなのにネットでは、「mixiやってます」ということを話すヤツが多くてぎょっとします。
それはつまり、「僕は○○という有名サークルに入ってるんだよ」「友達にねえ、××さんや△△くんがいて、とってもにぎやかなグループなんだよ」というような話と同じ次元ですよね。僕の関知しない貴方だけの繋がりがあるということを、貴方が僕に話してくれたとき、僕がそれについてどう感じるかは、貴方にも想像することが可能だと、僕は信じています。
ネットワークとは、内と外に開かれた公共性。誰かが自分の話を聞いてくれているかもしれないし、全く無視されているかもしれない。けれど自分が話しているということだけは確かなのだという、自分という事実と、一存が、何もかもを決定する世界。
その中にあって、その話している人自身にはそれぞれ親密の関係があるものです。それは家族のことであり、ときには上司部下もあるだろうし、恋人や伴侶、子どもも当然そうです。これを前提として、けれどそれとは別次元で、僕らは公共空間で何がしか話したり聞いたりしてコミュニケーションをしている、しようという意思を保持しているのです。
だからこそ、ウェブ上で「mixiやってます」と言うのは、ぶっちゃけ「sexやってます」と言っているようなものです。そりゃやってるのかもしれないけど悪いとは言わないむしろ未来と人類にとって素晴らしい行為だとはいえわざわざ言わなくてもいいだろうこの場では隠しておけよ恥かしいヤツだなあ、そんなフィーリング。
貴方という事実はどこにいて、貴方の一存は何なのですかと、mixiとかウェブとかじゃなくて、問いかけたくなるのですよ。sexしていることを事実としてわざわざ告白していることの真意を、僕はどぎまぎしながら覗き見したいのです。