帰りのバスを待っているとき、読んでいた新聞の視界外に、黒く小さい物体が動くのをちらっと捉えたので、思わず視線を当該対象に向けると、そこには世にも奇妙なアレ。足元の石畳に傲然とおわっしゃりました。
「!……」
僕はしかし、何も見なかったことにするべく、新聞を動かして黒い小物体を見えないよう"細工"するのでした。それでも今夜僕は、お味噌汁が食べられないような気がします。鬼の首を取ったかのようにアレの生き死にに執着するというようなことはないけれど、夜食に食べようと思ったお味噌汁にアレが浮かんでいるのを目撃した僕の思春期は、中学3年間男女同室で着替えていたということと差し引いても、それなりに不幸だったんだろうと思うのですよ。
あの子のふくらみかけと、あのお味噌汁(アレ入り)は墓場まで持っていこうと、僕はここに決意するものであります。

ブログのみ残存している森の十字路はここですよ?
などと、高校時代の友達が運営している(半ば化石と化した)webのリンクコメントに、こういう文脈で反応してみたり。最近騒音どうよ?

通勤時間に持ち込める携帯オーディオや新聞のように、睡眠時間に持ち込める携帯オーディオや新聞が発明されたら、良いのかどうかはやってみなくちゃわからないでしょうね。人間は毎晩眠ることで、意識をなくす経験を営々と積み上げて行く、その先に"死"という1回っきり・やり直しナシの本番が"予定"されているのだろうから。僕らはスムーズに死ぬために、ぐっすりと眠る。要約すると、ぐっすりと死ぬ。我ながらなるほどの表現です。