残暑の緩みで涼しくなった夕方、最近マイブームのスーパー銭湯に行ってきました。
しかし湯内ってばガキだらけ。夏休み最後の週末だからなのか、父親と来ているガキやガキグループ、とにかくガッキガキに満ち溢れていました。
「隠してんなよ、男だろ」「お前のでっけぇー」「初めは痛かったけどさー」
そういう会話、チン○の実況中継とか聞きたくないから!
そんなこんなで居たたまれなさ満点の室内で十分温まってから、露天に出てみたら、地べたに這いつくばっている方がいまして。そういえば入り口のところに車椅子が置いてあったのを思い出し、しばらく様子を見ていたけれど、どうにも困っているご様子。つい「手伝いましょうか?」と声をかけ肩を貸そうとすると(初老のおじさんも手を貸してくれました)、よく聞き取れなかったんだけど、「大丈夫です、ありがとうございます」というような返答で、援助は断られました。
それでもやっぱり心配で、職員の人を呼びに行こうかと思って見守っていると、動かない足を引きずり、(見た目)必死に這いつくばりながら、器用なのか不器用なのか良くわからない動作で室内の浴槽に入っていきました。
好奇のまなざしで彼をちらっちらっと見て囁きあっているガキどもには、正直キレても良かったような気もしたけれど(こういうとき「おい」とか言って凄んだり、アイアンクローをかませるくらいの男気があればいいのにと、たまに思います)、結局何もできないことに関しては僕もガキどもと大して変わりなくて。そんなことを考えていたら、汗かお湯が滲みるでもしたのか、目がやけに痛くなりました。
とはいえ、「助けてください」と言われても僕ひとりではどうにもならなかったでしょう。以前車椅子の移乗を手伝ったときも思ったけれど、冗談抜きでマジ重い。コツとかスキルを積まないと到底できるものではありません。女の子をお姫様抱っこするのとはわけが違います。
足が不自由で、車椅子の生活をしているということは、当然のこととして運動不足に陥りがちで、体重が重い。その体重を自らの意思の届かない内に援助者へ荷けてしまう。援助とは思いやりである以上にパワフルなのです。
やさしいだけではなにもできない。正義を遂行するには力がいる。僕らは自分自身がきちんと生きていくためにまず力(それは腕力であり、体力であり、意志の力でもあります)が必要で、人生を生き抜くための力という基盤があってこそ、誰かに、求められるときに、善くやさしくしてあげられるんだろうなと思うのです。


僕の所持している、windowsXPでは動作しないくらい旧式のインクジェットプリンターが、いつの間にか1枚ずつ給紙しなければ上手くプリントでない仕様に変更されていました。何枚かトレイにセットしておくと、2,3枚同時に送り込まれて中で詰まってしまうのですよ。なにこの手間。
いい加減新しいプリンター欲しいなあ。ついでにスキャナも欲しいのう。HDDも欲しいところだし。美幼女もそろそろ欲しい。なんだって僕はこういつも貧乏なのだよ?