匂いのエロティシズム

匂いのエロティシズム (集英社新書)

匂いのエロティシズム (集英社新書)

ブルセラで女性の使用済みパンティーを買い漁り、家にこもってその匂いを嗅いで性的な興奮を得ている男性を、当然のごとく変態というレッテルを張り、アブノーマルな存在として人々が忌避する社会。「パンティは好きだ、ぜひ見たい。でも嗅ぐのはどうよ」と、嗅覚を他の感覚と比べていかにも原始的で野蛮な感覚であるとし、流行の消臭スプレーや制汗デオドラントなど徹底した清潔・無臭主義によって自らの発する匂いごと無効・無意識化し、ましてや匂いを性的な事柄と結びつけるなどあってはならない発想であるとしてタブー視し、抑圧し続けてきた近代以降の性文化。
「われわれは有機体として化学的に生きてきたのであり、有機体の化学反応があるところ匂いがあるのは必然であった――そもそも、生きとし生けるものには、つねに匂いがある――モノには匂いがあり、匂うのはモノである――すなわち、エロスとは匂いであり、匂いはエロスであると」筆者は言ってのけます。
人間は進化することによって視覚を中心に感覚器を高度に発達させ、しかしその感覚情報がフェロモン的に人間の性本能に作用し性行動へと衝動的に突き動かすのではなく、同時並行的に複雑化を果たした脳の想像力(妄想)へと接続、人間の意識が制御した上でエロスという性と生への根源的で文化的ともいえる欲望を豊かに創造してきたのだから、そこに嗅覚<匂い>だけ原始的であると侮蔑するのは間違いなのだと、仲間はずれにするのは筋違いなのだと語るかのようです。
「むしろ、あらゆるものをエロス化してきた以上、フェロモンのような本能的な匂いとは全く別の、新たな匂いのエロスの形さえ創造できるのが、われわれ人間なのではないだろうか」現に匂いのエロスは文学(川端康成の「眠れる美女」など)によって見出されてもいる。「匂いをエロスの美学にまで高められる可能性を、われわれ自身の中に見出すところにまで辿り着いたのである」。すいませんここで正直に告白します。駅ホームや街中で女子中高生とすれ違った後はたいてい嗅いでいます。くんくん嗅いでいます。ごめんなさい。

「パンティに染みついた匂いは、パンティというフェティッシュを聖別するものであると同時に、女性生殖器の生の存在をまざまざと突きつけてくる。その匂いを嗅ぐことで快楽を得るフェティシストの衝動が暴きだすのは、パンティによって視覚的な隠された性器への欲望ではなく、性器の匂いがかつて担っていたエロスの古層なのではないか。おそらくそのことを彼ら自身は意識しているわけではないだろう。しかし、さまざまな匂いの違いを嗅ぎ分けながら、脳の奥深くに封印された太古の記憶(嗅覚が性情報の主要受容体だった)と結びつくものがあるからこそ、どこから湧いてきたのか自分でもわからないような強烈なエクスタシーを感じるのではないか」

ああ、なんて素敵な説であることでしょう。笑ってはいけません。むしろ泣いてください。僕は感動しました。そうです、見ることは嗅ぐことであり、触ることは舐めることなのです(意味わからないから)。岸田先生が言うように人は本来の性機能が壊れているのだとしたら、がむしゃらに全ての感覚器を動員し、獲得した情報ひたすら脳につぎ込んで、自家製の幻想内燃機関を駆動させて、性欲パラメータを維持し向上させていかなければなりません。そこで感覚器を差別している余裕はない、雑木林に打ち捨てられた雑誌はロリコン本だったりするわけです。
そう、人間は匂いを受容し、かつ艶やかに開発していかなければなりません、そしておたくは嗅覚で萌えていかなければなりません。新品で買ったエロゲーのパッケージを開けたときはまず、内箱から立ち上がる匂いや取説の匂い、プラスチックケースから取り上げたDVDを嗅いで「萌え〜」と叫ばなければならないんです。ああ、「匂いのエロティシズム」、僕に新たなる決意を抱かせる素晴らしい著作でした。ありがとう、ブルセラ!!(意味不明)

鼻というのは、鼻の穴の中、鼻粘膜のことだが、陰茎と鼻粘膜には勃起組織がある。一般に海綿体として知られているこの組織は、動脈が直接繋がる静脈腔を含み、刺激によってここに血液が流入することで膨張、勃起が起こる。同じ現象は陰茎と鼻粘膜以外では陰核と乳首の平滑筋で見られるという。性的に興奮すると鼻の穴が広がるが、それは鼻が勃起するからだったのである。

動物化した女の子がよく主人公の鼻を舐め上げたりするし、それが妙にエロいのは、そういう理由だったのですね。

たとえば、世間でよく口にされる、花嫁が婚礼後に風邪を引きやすい「花嫁の風邪」という現象を、結婚後の花嫁の性的興奮に伴う鼻腔内の鬱血によるものと考えたのである。実際、性交の直後には鼻の粘膜の温度が上昇するという。鼻声が色っぽく感じられるのは、それが性交後の声を想起させるからなのかもしれない。

その線で行くと、男の子が女の子とのエロいシーンを想像して鼻血を出すのも案外しれっとした根拠が求められそうですね。まぁ、実際柚ねえも好きな男の子を見かけて鼻血を出したって言ってたしね。

シュナミティズムは一般に回春法の一種として理解されることが多いが、これと似たものにレクタミア、あるいは英語でバンドリングと呼ばれるものがある。こちらは古代スカンジナビアで行われていたという、恋人同士が服を着たまま一緒に眠る習慣を指し、キリスト教化後には婚約中の二人が着衣のまま同じ寝床で寝る習慣がヨーロッパでは残っていたらしい。また全裸で、二人かそれ以上の人数で眠ることもあるが、その場合でも交接をしないのが基本的なルールであり、目的は性的エネルギーの交換である。
この点でバンドリングはシュナミティズムと結びつくが、ダビデ王をはじめとして多くの王侯や富と権力を持った者が年老いて、若い娘たちと同衾することで、精力を回復し、あるいは健康を保とうとしてきた。そのためには、添い寝をするのは処女でなければならず、そうした処女は犯してはならなかった。

羨ましいんだか、そうでもないんだか微妙ですね…。というか第一、ちゃんと眠れるのかなぁ? よくギャルゲーで妹キャラが主人公と一緒の布団に入って眠ったりするけど、あれって絶対眠れないよなぁ(いや、僕が単に寝つきが極度に悪いからそう思うのかもしれないけれど)