わすれがちな事実と、忘れがたい嘘

机の上に散らばっている新聞の切抜きを整理していたら、ちょっと。

 夫が「うつ病」にかかってから、私は「思いやり」について考えた。
 生活を考え身と心を削って働き続けた夫。「つらい」と言えずに働く夫を、子どもたちに尊敬させていた私。うつ病のことを心配させまい、と「両親に内緒にしてほしい」という夫。夫の両親に「病気のことを聞くまで、知らないふりをして温かく接してほしい」とお願いする私。
 結果的に、病気を知らないふりをしてくれている夫の両親が、地方にある実家に帰らなければならない状況を作ってくれた。環境を変えて再出発するチャンスを作ってくれた。
 夫は、実家の両親と同居するにあたって、「苦労をかける」と私のために離婚まで考えた。私は「できる限りがんばるから、連れて行ってほしい」と頭を下げた。最終的に、子供たちの「おじいちゃん、おばあちゃんとみんな一緒に住めるなんてうれしい!」という一言で、夫も新しい生活に希望を持てたようだ。
 「思いやり」と「優しい嘘」は似ている。でも、優しい嘘は、ばれたときに余計に人を傷つける。今、私が夫にしていることは、優しい嘘ではないのか、そんな不安を抱えながら、それでも、家族みんなが一緒におだやかに暮らしたい、という私の気持ちに嘘はない、と思い返す。夫がいつか自分から話せる日が来ることを信じて。

僕は高校時代、合唱部に所属していて、僕が部長をしていた2年生が終わろうとする春先、3年生が卒業するというんで、僕ら在校生で先輩それぞれに色紙にメッセージを書いて、贈ることにしたんですね。それに、僕は、とある女性の先輩の色紙だけに何も書かなかったんですよ。なんで書かなかったんだろう……。その色紙を渡すなどした合唱部の送別会のあと、その先輩に、音楽室に付属した個人練習用の小部屋に呼ばれて、「○○君は、なんで何も書いてくれないの?」と尋ねられたんですよ。そのとき僕は、なんて答えたんだろう……。
どうもいけませんね、よく覚えてません。あとから考えれば考えるほど、すごく大切なシーンだったような気がするというのに。本当、自分の言動が思い出せないんですよ。子どもじみた優しい嘘、今はもう思い出せない思いやり。ありえない話ですからね、そんなこと。だから、せめて嘘をついた。だって、嘘というのは、確かなことでしたから。
事実は年とともに色褪せ忘れ去られていくけれど、嘘ってのは案外、年が経っても色落ちしないし、忘れることはできません。それは自分がついたものである以上あまりに確かなことであるし、いわんや他人行儀な事実よりかは真実に近いわけですからね。嘘は、"嘘"であるというのだからとても誠実で、嘘ではないよと澄ましている事実のほうがよっぽど"嘘"くさい。ってーと、何の話をしているんだっけ。

 すなわち、これほど大量の低賃金労働者が暴動に走りもせず社会内に存在しえているのは、彼らを支える家族という社会領域の存在に企業がよりかかることにより、彼らの生活保障に関する責任を放棄した処遇を与え続けることができているからなのである。それゆえ親の早世や離別などにより依存できる家族をもたない若者は、現下でも厳しい困窮状態に置かれている。
 しかもこうした企業の家族への依存は、長期的に持続可能ではなく、非常にもろく暫定的なものである。冷戦下でアメリカの庇護により日本が経済成長を遂げ得た時期に、安定的な雇用と賃金、そして年金を享受し得た親世代は、今後数十年の間にこの社会を去る。その後に残されるのは、むき出しの低賃金労働者の巨大な群れである。

親の財産と遺伝する容姿で子どもの人生がほとんど決まってしまうというのなら、僕は親にはなれないし、子どもも持てません。そんな残酷なこと、僕にはできません。もちろん相手もいませんがねw