春の現実逃避と、春の息吹と、「ひとひら」

VIT槍騎士も90lvに到達したことだし、そろそろGvGに参加しようと思ったら、グラボが10分と持ちませんでした……。フリーズしないで、プリーズ!

 社屋を出ると、午後の光がまぶしかった。気温はもう、早春のものではない。隣のビルとのあいだにパティオがあり、ベンチがいくつか並んでいる。週末の午後だというのに、そこには会社員ふうの男女がなん人かすわり、のんびり春の光を浴びている。さっき聞いた柿島の話とは、そうとう違和感のある光景だ。本格的な春の訪れにも落差があるのかもしれない。
 その陽光のなか、ベンチにひとりすわる男の姿が目に入った。富沢だ。彼はなにかをみつめていた。私の姿は、彼の視界にないようだった。
 路上に立ちどまり、その陽だまりの光景を眺めていると、ふいに奇妙な思いがやってきた。肩を落とした人間と春の穏やかな光は、なぜ、これほど理不尽に似あうのだろう。彼は身じろぎもしなかった。その視線も動かなかった。私にはけっしてわからないなにかを彼は見つめているのだ。
 私はまた歩き始めた。 (藤原伊織「てのひらの闇」)

自転車のタイヤが、空気を入れすぎて破裂してしまい、もう笑うしかないので、いっそ歩くことにしました。自転車で10分とかからない距離を、20分かけて、歩いています。健康は時間では買えないのだと、調子に乗って闊歩していたら、足にマメができました。ぶよぶよ。
歩くしかない僕は、すがすがしい春風を吸い込んで初夏の日差しを吐き出す、まるで季節の呼吸のようなこの日和を、歩いてあるいて現実逃避中。マメは歩くととてもいたい。歩けばあるくほどにいたい。少し前に廃校になった学校の脇道を歩いていると、緑の柵のもとでたんぽぽが春の息吹をしたたかに主張していて、気づいてしまったことにちょっと後悔して、僕は思わず汗を拭う。自分が生きていることはこんなにもうざったいのに、春という季節はどうしてこんなにも生き生きを感じられてしまうのだろう。それこそ理不尽な話じゃないですか。落ち込んでいるときは自分の嫌な部分ばかりが見えてくるものだし、そうであるからこそとことん落ち込める。そこでたとえば自分のいいところが唐突に生き生きと浮かんできたりしたら、困惑します。矛盾するだけに不安定だし、精神が一貫しない。これじゃ中途半端にしか落ち込めませんよ。
春は横暴、空気を読む前に手前勝手に空気を作ってしまう。こっちの事情お構い無しに寒かったり暑かったりと、非常に傍若無人。「おいなんなんだよ」とつっこみ入れようとする頃には、もう夏だったりするんだよなあ。
とにかく、これ以上歩くのはマメがとてもいたいので、来週の頭にはけじめつけないと。あんな安月給の仕事に振り回されたり凹まされたくはないのだ。安くてもいいけれど、わずらわしいのは勘弁なんです。まったく。
あ。それと4月からの新しいアニメは結局、少し見始めました。溜まっていた旧アニメを全部処分したら、見る気が復興したので。まだ1話の全部も見ていないんだけども、「ひとひら」が特別気に入りました。DVDに保存する予定、OP/EDもいいですね、さっそくゲーマーズで買ってきちゃいました。コーニッシュいいねコーニッシュ
お話としては、入部する経緯に限らず総じて強引気味だし、世界の狭隘さがくつろげない部分は確かにあるし(放課後とか家でどう過ごしているんだろう)、面白いシーンやメッセージ性のあるシーンの、繋がりがぎこちないというか、いろいろ唐突にすぎて少しもったいないなと思うところはあります。でも、描かれている青春像が、安易な恋愛やベタな百合を透過して、年代というありのままの生っぽさを表現しようとしている点、主人公の麻井麦の内気さと表裏をなす自信のなさが、既定された人間関係を築くための意図的な虚飾ではなく、本当に自信がないということをきちんと描いている点。第5幕「うわぁぁぁぁん」では、自分に自信がないことに彼女は本当に自信を持っていることが明らかになりました。自信がなくて、人前で話すのが苦手であっても、自分がいかにダメであるかということについては、意外と饒舌になれるんですよね。すごくわかるんだよなあ、僕には。
しかし、麦は実は声がいいということを、大きさ以外の部分で(例えば声質とか)より感じられたら、良かったのだけれど。ここらへんは難しいところですかねえ。