「自殺したくなったら、図書館へ行こう」

足のマメが痛いのを構わず、歩き続けていたら、マメが赤黒くなってきてしまいました。さすがにもうダメかもしれません。お母様、先立つ不幸をお許しください。

 「自殺したくなったら、図書館へ行こう」。京都の出版社「論楽社」共同代表の虫賀宗博さんは、落ち込んでいる人を見かけると、こう話しかける。そんな図書館が、実際にあるのだという。(略)
 書架に椅子がある。腰掛けると、自分だけの空間が生まれる。本を読みたい人ばかりではない。読まなくてもいい。毎日、朝から来ている70歳の女性がいた。椅子に座って、小さな声で童謡を口ずさむ。疲れると、お茶を飲んで、ひと休み。「いつも、まぐれ(夕方)までいるんよ」。子供のように笑う。リストラされた男性もいた。「家にはうち(自分)の居場所がのうてな」
 「図書館に一人一人の居場所を作りたかった。ぶらりと立ち寄ることができて、人生のリセットができる場所を」。開館以来、約10年間、館長を務めた才津原哲弘さんの弁だ。(略)
 「図書館が所蔵する膨大な本には、あなたの自殺の原因を解決するモノかあります。図書館員がそれを探す手伝いをします。だから自殺はおやめなさい」。これを実践したのが、才津原さんだといえる。 (2007年4月10日付読売新聞朝刊)

たかが本が、人に自殺を思いとどまらせるなんて、それはうがちすぎだ、知識人の傲慢だと正直思っていました。この記事を読んで、まるで風邪のときに本を読めば行間にPL顆粒が挟まっているような物言いに、ちょっと反発を覚えたものです。
本自体にそんな力が宿っているのかどうはわかりません。けれど、図書館にはそういう力があるのかもしれないと、僕はちょっと思い直しました。何の目的もなく、ただなんとなく書架に視線を巡らせていて、本当に気まぐれで、手に取ってみた本が、ものすごく援けてくれることがあるということを、僕が実際に体験したからです。PL顆粒を頁に挟み込んだ本が僕の症状を緩和させてくれるのではなく、いろいろな表現、いろいろな場景、さまざまなしぐさ、さまざまな人生が、行として、章として、それぞれ僕の薬となってゆくのだと。極論すれば、どんな本を取って、読んでみたところで、それは何がしか僕の精神と行動を援けてくれる機会(きっかけ)となりうるのだということ。そんな当たり前のことに、僕は今さらながら気づかされたというわけです。どんな本を選んだかではなく、どんな表現に心が動かされたかということに気づくかということ。
書店ではこんな悠長なこと言っていられません。そこには最新の本しか置いてないし(僕の求めている援けが流行に乗って来るとは限らない)、新品の本はモノとして読者をある種緊張させる。また、買わなければ読むこともままならないし、買わないことがどこか罪悪感を伴うように仕組まれています。それに引き換え、図書館では古い本から新し目の本まで幅広く揃っていて、比較可能な世代に援けられる機会が保証されています。ぼろぼろの装丁は、これからさらに汚すことになる読者にある種の安心感を与えます。それに、読もうが読まなかろうが、借りようが借りなかろうが図書館というシステムにとって一向に構わないというところが、気分を和らげる。
もちろん目的の本を読むために、調べるために訪れてこそ有意義な施設なんだろうけれど。気まぐれで訪れて、なんとなくで本を見繕って、それを館内で読もうが、家に持ち帰って読もうが、あるいはやっぱ辞めようが、良いも悪いもない、公序良俗に反しない限りことごとく、貴方の思し召しの通りで宜しいですよというその懐の深さが、ゆるやかな利用者主体主義が、本当に嬉しいことだとしみじみと実感できるのは、しいてあげれば、自殺したくなっているような人たちではなかろうかと、思う部分は確かにあるのです。そして、読む本の、どの行・どの章に輝きを見つけ出すかは、もうその人の内面の問題。そんな内面をほどき始めさせる儀式が、この図書館というありように含まれているような気がするのです。好きなようにできるということは、好きなようにするという内面を解き明かすことに他ならないのだから。
図書館で本を借りると、職員の人が(たいていはボランティアか非常勤職員だ)「ありがとうございました」と言ってくれるのは、なんかヘンだと思っていたけれど、図書館の、本の気持ちになって口をつく感謝の言葉に、救われる人がきっといるのだということを、僕は想う。そして、本を(できれば期限どおりに)返すときには、「ありがとう」と、こちらこそ助かりましたと、職員を介して図書館に、本に感謝の気持ちを率直に伝えられればいいと、思ってもみないキレイゴトを書いてみたくなる程度には僕は、本というより、図書館という居心地が好きなのですよ。
それは、同人誌はそれほど好きでもないけれど、コミケは好きというのと同じ性質なのかもしれない。出会いが奇跡だというならば、そこは星空。過去に著された本を、現在読んでいて、未来を照らしだしてくれるかもしれない。さて、たまには本を集中して読んでみるとしますかね。外に出るにはマメも痛いし金もない。そうそう、橋本紡の最新刊が借りれたんですよ。