「DARKER THAN BLACK 黒の契約者」

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 第20、21話「あさき夢見し、酔いもせず」より。
 「ふっ…ザマぁねえ」「惚れたもんの弱みってやつよ」
 荒唐無稽な世界観と、無理矢理な展開にあきれつつも、予想もしない切り口からほろりと叙情的なあじわいが心を満たす、良い意味で不気味なアニメ、「DARKER THAN BLACK 黒の契約者」。今までなんとなく見続けてきたけれど、この「あさき夢見し、酔いもせず」前後編を見終えたとき、ああ、このアニメは見続けてきたのは正解だったなと、思った。
 演技をする女と、酒に酔えない黄(ホァン)。彼女が演技でない本心に気づいたとき、黄が恋というものにはじめて酔ったとき、突拍子のないふたりの逃避行は、けっして始まりすらしなかった――。
 「いいか、一緒に、なれよ。だますんじゃ、ねぇぞ」。禿げ上がるほどに渋くて、ヤニの匂いが艶っぽくて、何杯目かのビールのようにほろ苦い。僕はこの話を見て、「カウボーイビバップ」第10話「ガニメデ慕情」を思い出さずにはいられなかった。
 みにくい中年に落ちぶれた男が、昔の女に会うというエピソード。ともに彼女への思いを断ち切れない男たちだが、ジェットと黄の違うところは、カッコいいか、カッコ悪いかという点だろう。もちろんジェットはカッコ良く、黄はカッコ悪い。ジェットは彼女への未練を(少なくとも表面的には)おくびにも出さず、事件を手際よく解決し、ダンディに別れを告げる。恋とか愛とかを「くだらねぇ」と相対化していくばくの未練に背を向ける、男の理想像、あえて言えば無頼の生きざま。それが心理的に無理をしているものであったとしても、それを決して女に見せないのが男の美学なのだ。体力的にも精神的にも減衰していくばかりの中年男にとっては、もう美学を守るしか自身のプライドを保持する術がない。だから得意げなまでに意固地になってしまう。
 しかし黄はまったくカッコ悪い。とある任務で昔の女の消息を知ると、彼はたやすく平静を失う。ましてや黄が原因で彼女は、3年間も費やしていた任務に失敗し、窮地に立たされてしまうのだ。この事件に際して黄はほとんど足手まといでしかなく、組織の命令で彼女を抹殺するように命じられても、そうしなければ自身の命も危ういというのに、彼は到底遂行することはできない。なんてダメなんだろう。しかもこの期に及んで、プライドも意地もすべて捨て去って彼女と愛の逃避行に及ぼうとするのだ――。
 しかし物語りはそんな不躾な違和感を、軽く帳尻を合わせるかのように"なかったことにする"。演技しているのは誰かとか、どこまでが演技なのかとか、そういった他愛のない男女のありさまに、組織は容赦なく脚本どおりの演出を上書きするのだった。キャストがどう足掻こうと舞台は決してブレない、それが世界の法則であるかのように。
 ジェットにしろ黄にしろ、どういう形であれ最終的に昔の女と別れることになるのだ。それはつまるところ昔の女なのだから仕方がない。そしてあいまいな懐かしい思い出に、はっきりとした真新しい記憶が加わる。「別れ」が確かに記録される。拭い去れない時間は戻らない。けれどだから、好きになった女にまつわることくらい感情的になってもいいじゃないかと思うのだ。理屈も、現実感覚も無視して好きな女と思うままに生きようとして、何が悪いというのだ。もはやカッコいいも悪いもない、失ってしまえば昔も何もないのだから。僕はむしろ、昔の女との今生の別れに、見てくれの悪い黄が見苦しく泣き崩れるありさま、愚かなそれがむしろすごく美しいと感じられた。
 劇中空は決して晴れず、黄の内面を映し出す鏡のように、肝心な現実を雨に濡らし、肝心な思いを薄闇に隠す。それは、言うなれば今黄は、確かに世界に愛され、そして慰められている。あまりにも思いがけない黄のエピソード、妙に浮ついていて素人っぽい志保子の"演技"、緻密に張られた伏線と、丁寧に重ねられた意味は、意外にも契約者という存在の核心へとつながり、あまりにも思いがけずシリーズ中傑作となって、僕の胸を震わせる。何もかもやさしすぎるのだ。
 恋愛は男と女の騙し合い、とはよく言われること。けれど、騙しても、騙されたとしても、さまざまなやりとりが、そのとき感じた音や匂いや風景が、本心とともに記憶として残される。それがかけがえのないものだということは、監督だろうが神だろうが騙しようがない真実。そうであればこそ、人間。
 「ちょっと夢を見ていたみてぇだ…」
 そういって黄はいまさら、自分の過去と、本心を騙そうとする。酒に酔えないから、夢にしてしまうしかないのだろうか。しょせん僕には、酒に酔えない人間の気持ちなど、わかりはしない。いや、わかってはいるのだ、酒に酔えたからといって、何も、誰のことも忘れたりできないということは。素人芝居だろうがなんだろうが騙されていたいのだ、恋も、死すら芝居であったという「幸福で残酷な記憶」として、あの夢のような日々に酔ってない振りをして、「思い違いだったのだ」と。なんて虚しい、そして共感せずにはいられないことだろう。
 取ってつけたようで恐縮だが、菅野よう子の抒情的で湿っぽい劇伴も素晴らしい。「ガニメデ慕情」で流れていた哀愁漂うギターソング「ELM」も印象的だった。そう、サントラのタイトルにもなっているが、「黒の契約者」の菅野よう子はあくまで「劇伴」なのだ。そのことがしみじみとよくわかる、そんな回でもあった。