クレーマーの領分

 クレームをつけるということは、一種の才能なのだと思った。
 それができる性質といってもいい。前提として、良きにしろ悪しきにしろ、自分(の意見・主張)が絶対正しいのだという、信念のようなものが必要なのだ。少なくとも、自分に自信のない僕のような人間には、間違ってもクレーマーとしての素質が決定的に欠けているのだということを、思い知った。
 ちなみに、水抜き剤というのをご存知だろうか(いったい誰に尋ねているのだろう…)。車の給油口に注入するアルコールを主成分とした液体で、中に混入した水をガソリンと結びつけ、エンジンで燃焼させることで排気ガスとして車外に排出させるためのものなのだという。しかしネットで調べてみると、今日ほとんどの車には必要ないらしい。

 ただし! タンクに溜まる水は微量ですから水抜き剤など入れなくてもガソリンに混じって燃焼され大量に溜まってしまうことは無いでしょう。
 それでも心配と言うならカー用品店で買って自分で入れましょう。 一本200円ぐらいで、ただタンクのキャップを開けて入れるだけです。 スタンドで頼むと1000円近く請求されますよ。(驚) 引用

 夜勤明けの朝、母親に頼まれていたので、車のガソリンを補給しにガソリンスタンドに寄った。そこは僕が給油する際には大抵利用する、有人のガソリンスタンドだ。いつものようにレギュラー満タンをお願いし、1?139円はそれでも安くなっているのだなと思っていたりしたところ、給油作業をしていた兄ちゃんが、「水抜き剤の期限がそろそろ切れますけど、入れときますか?」と言ってきた。
 水抜き剤ってなんだっけ? 後になって思えば、眠くて、疲れていた僕はそのとき、正常な判断力が働かなかったのだろう。なんのことだかよくわからずに、「ああお願いします」と答えてしまったのが今回のエントリーのきっかけ(運のつき)だ。会計の段になっても、5000円以上請求されたことすら「最近のガソリン価格急騰はたまらないな」としか思えなかったのだから、相当な低下度だ。
 そのまま帰宅。ひとまずお風呂に入って体も頭もさっぱりしてくると、むくむくと不審の念が浮かび上がってきた、「いくらなんでもレギュラー満タンで5000円以上はかからないだろう」と。そこでレシートを調べてみると、「ガスキープ 1ℓ 630円 2ℓ 1260円」の印字。1260円ってなんだよ!(驚)
 そこで僕はいろいろなことを思い出し、かつ考えた。確かに、このガソリンスタンドではたまに水抜き剤を入れてくれていた。そしてこの程度の料金は請求されていたと思う。ただここ近年は僕自身、あまり車を使わない生活スタイルだったので、ガソリンスタンドに寄ること自体少なく、水抜き剤を勧められることがまったくなかった。
 そこで改めて水抜き剤についてインターネットで調べてみると、先述のような、「入れる必要はない」という記述ばかり。しかも水抜き剤自体はカーショップで200円程度で買えるもので、ガソリンスタンドで勧められたとしても受けないほうがいいというではないか。有人のガソリンスタンドが、セルフサービスのそれよりガソリン価格を微妙に低く抑えられているのは、そういった儲けるためのカラクリが、サービスと称して随所にちりばめられているからなのだろう。納得はできるが、しかし個人としては許せない話だ。
 ではどうしてくれよう。そうだ、ここで引き下がってはならないのだ。そのとき僕の脳裏を占拠していたのは、先日勤め先で被ったクレームの一件。確かにアレは僕自身のミスだ。それは認める。しかしあそこまでコトを大きくすることはなかったじゃないか。基本的にクレームを受けることの多い僕の立場(接客)は、しかも仕事上の不満をどこにもぶつける、もとい向けることができない(非常勤だもの)、上司に要求をしてみたところで、旧態依然が本質であるこの職場においては、そのほとんどが解消・実現することもない。居心地は悪くないということと胸の谷間だけがせめてもの救いだ。
 だから、というのも変な話だが、たまには"交代"してみたいと思った。クレームを付けてみるという役割・気分を味わってみるのもいいだろうと、思ってしまったのだ。きっと、いまだ回復しない判断力とともに、良識という箍が緩んでいたんだろう。僕はむしょうに"趣味的な腹いせ"を実行する欲求に駆られてしまった。ちょいワルおやじがもてはやされるこのご時勢、僕もちょいワルを気取ってみてもいいじゃないか。だって、僕だってもう、おやじだもの……。
 電話する。僕の主張するところはこうだ。
 「先ほどそちらで給油した者なんですが。レシートに印字されている『ガスキープ 1ℓ 630円 2ℓ 1260円』ってなんですか? 確かに「水抜き剤を入れますか」と言われて私も承諾したけれども、そのとき料金の説明はなかった。1260円という料金の説明が前もってあれば、私は断っていた。事前の説明もなしに、決して安くない料金をいきなり請求するというのはどうなんですか。返金してください」――と。
 ちょいどころか、ワルそのもの。むちゃくちゃな理屈である。ガソリンを入れてもらっておいて「レギュラー1?が139円だなんて事前に説明がなかったじゃないか。納得いかない返金しろ!」と言っているようなものだ。きっと店内の表示をくまなく調べれば、「水抜き剤1ℓ630円。通常は2ℓ」とでもいう説明の書かれた紙でも張ってあることだろう。
 しかし、無理を押し通すところにクレームの真価が問われる。そういうものだろう?
 それに対して、店側の対応はこうだ。
 「給油口のところに水抜き剤使用のシールがいくつも貼られていたので、お客様は料金についてご存知のものと思ってました。確かに事前に料金の説明がなかったことはこちらのミスです。申し訳ありません。しかし、一度入れてしまったものに関しては返金することができません。ですので、代わりに1900円相当のワックス洗車をさせていただくということで、補償させていただけないでしょうか?」
 どうだろう、この戦果は。識者の意見を拝聴したいところだ。クレーマーたるもの、要求は常に高めでなくてはならない、当初は返金、それがダメだというなら1260円分相当の給油、それもダメだというので、ワックス洗車というのは店側からの提案だった。「1900円」という点に折れてしまった僕を、キミは情けなく思うだろうか。
 しかし、実際に、クレーム戦果の洗車をしてもらうためだけに車を動かしてガソリンスタンドに行くことの、なんともいえないみじめさはどうだろう……。
 クレーマー像としてある、むやみに強気で、理想的にはべらんめえ口調で、「店のことを思って言ってやってるんだ」というありがた迷惑的態度、規定外のサービスを受けて当たり前という傲岸不遜さ。クレーマーとは、社会から各種の"特殊"利得を得ることに釣り合う、にじみ、におい立つような"自負"が不可欠だ。
 だがそれは僕には到底得られないシロモノ。おそらく僕の生涯を通じてもいたり得ない境地だろう。引け目を感じてしまっている時点で、僕はクレーマーとして失格なのだ。
 それは本当に、良いとか悪いとかいう安易な価値判断では計れないものである。正義を為すには力が必要であるという、その力自体は善でも悪でもないように、正義かどうかはわからないが、社会で人間がある程度のゆとりをもって生きていくためには、図太いと解釈されうる強さが求められてくるものなのだ。
 何が起こるかわからない、明日の自分がどうなっているか想像もできない、あいまいで粘着質な不安がますます強くなってゆく今日、マナーがなってないだの、最近の若者は非常識だの言われてしまう実相は、あくまで強気に自分本位で行動していることで、「自分は強いんだ」という、偽りの、それでいて健気な自負を確認し、一定量の自信を維持している無力な人々の精神的作業の反面。そこにあるのは自己中という鎧だ。
 拳も武器も使えない一般市民は、強くあるためには、強気でいるしかない。そのさまを、とある方向に極めた者がクレーマーの称号を得る、そういうことなんだろうと思う。
 話が脱線してしまった。とにかく、「僕は迷惑を被ったんだ。もっと偉そうにしなければ」と、せめて敬語とか「です・ます」調を断定口調に改めなくちゃと思うものの、対応したガソリンスタンド店員が「ではワックス洗車をさせていただきます」と言われれば、「はい、お願いします」と答え、「どうもすいませんでした」と謝られれば、「いえいえ、いいんですよ」と答えてしまう。追加文句のひとつも言えやしない。
 いったい僕は何をやっているんだろう。この状況下で「そもそも自分が悪いのに」という以外にどう思えというんだろう。たった一時クレーマーを演じることすらできない僕は、心から尊敬してしまう。羨ましいイキカタだと思う。
 「クレーマーは凄いよ」と、僕はしみじみ思いながら、車の給油口にべたべたと貼られていたシール(「いついつに水抜き剤を入れました」みたいなことが記入されている)を爪で剥ぎ取っていた。つくづく僕はぶざまなイキカタしかできないヤツだ。不器用さも、中途半端さもミテクレの悪さも、全てひっくるめてもういい加減あきらめてもいい頃合だな。爪のあいだに挟まった紙片を眺めながら、そんなことを思っていた。