失われた"池"とALT値

人間の敵は所詮、酒だよ
 野暮用で町田に来たついでに、久しぶりにtaharaにでも寄ってクラシックの輸入版CDでも見繕うかと、ジョルナに入ってみたら、tahara、ありませんでした。えーと、潰れていました。
 僕の高校時代の数パーセントを捧げたtaharaのあのクラシックルームが、もうない――。冴えないおやじ風情には居場所も目のやり場もないジョルナの通路で、しばしぼう然としてしまいました。
 最後に買ったCDは、なんだったろうか。そうJ.S.バッハのオルガン作品集、6枚組の輸入盤で5000円という激安のCD。
 taharaが元あった場所にはTSUTAYA、同じフロアには楽器店が出店していたから、ジョルナからは本当に撤退したっぽいです。帰ってからwebをチェックしたところ、町田には(ジョルナではない場所にある)楽器店しか残っていないようです。
 振り上げた拳に何も握らず振り下ろすのも癪なので、町田にある新星堂HMVからレコファンまで回ってみたものの、めぼしいCDは見当たらず。というかクラシックコーナーそのものが皆無といっていい状況でした。いまどきのクラシックってそんなものなんですかね。それとも僕が知らないだけで、棲み分けじゃないけれど、クラシック音楽が充実しているショップが別にあったりするんでしょうか。町田も最近は全然来てなかったからなあ。
 まあ確かに、今や音楽CDなんて、探す手間がない分ネットで買うのが楽、というより普通だし、ましてや音楽自体、ケイタイにダウンロードして聴く時代ですからね。月にいくらか払ってクラシック音楽聴き放題なんてサービスもあるらしいし、音楽というものがCD媒体であることの必然性すらもはや、風前の灯でしょうか。
 それよりも、暇を持てあます団塊の世代をターゲットに楽器でも売っていたほうが、ビジネスとしては手堅いんでしょう。それは仕方がない。広いスペースを確保して、より多くのジャンルにわたり充実したタイトルを揃えて勝負していた時代は、少なくとも音楽小売業に関して言えば、昔の話で。いまはそんな余裕があるくらいならオンラインショッピングのページでも構築してろという話なんでしょう。
 聴きたくなった曲を、すぐ聴けるということは便利だし、何より素晴らしい。しかしそういった場合、聴きたくなった曲とはコマーシャルなり試聴なりで、多かれ少なかれ"聴いたことがある曲"です。それは紹介された出会い。しかし僕が大切にしたいのは、ジャンルやアーティスト的にどんな音楽かは想像がつくけれども、でもあくまで"聴いたことがない曲"との、偶然の出会い。
 いわば"同郷の他人"を聴こうと思える機会は、やはり音楽CDを自分で手にとって、そのジャケットデザインなり文字から得られるフィーリングが重要だと思うんですよね。第一印象すらおぼつかないようでは、出会えたということにはなりません。そして聴いたことがないからこそ、イメージしたものは澄みきって、音楽そのものに無垢な心地で感動できる関係でありえるのです。
 ましてやクラシックなんて、目を瞑ったまま"池"に手を突っ込んで何かをつかむというような出会いが、スタイルが深い感動をもたらすジャンルである気がします。
 僕が初めて聴いたクラシックCDは、中学3年のとき、朝に受験勉強の時間を確保するため、効果的な目覚まし方法として思いついた、ベートーベンの運命。何も知らなかったから、何でもよかったから、一番安いCDを買ったのに、それが世紀の名演として名高いカルロス・クライバー指揮/ウィーンフィル盤だったという。
 だから僕は池を大事にしたいのですよ。そういう意味で輸入版CDほど面白い池はなくて。どこぞの国製の怪しげなCDを手にとって、きちんと第一印象をつかめる場というのは、そういう意味でとても貴重です。何もしなければ決して出会うことはない世界。ライブ演奏を聴きにいくことの面白みというのも、根本のところではそういうことではないのかなあ。
 心のどこかで、いつまでも存在し続けているだろうと信じていたから、tahara町田店の消息なんて気にも留めていなかったし。今までそうだったから、フロアが変わることはあってもジョルナの内に在り続けていることを疑いもしなかったから。今回の件はけっこうショックでした。
 どちらかといえば、前日の深夜まで飲んでいたからかALT値が高くて献血を断られてしまったことよりも、ショックでした。ジュース飲んでお菓子もらって帰りました。我ながらすごい間抜けでした……。
 買えなかったCDはHMVのオンラインショップで注文。僕の大切な池に手を突っ込む機会は、また新たに開拓しなければならないなあ。