「魔法はあめいろ?」その2

 「魔法はあめいろ?」久我環編、菊菱花苗編をクリアしました。
 魔法はあめいろ?~Standard Edition~
 なるほどこれは、濃密でいて晴朗な、恋と、友情の物語ですね。まさしくじめじめとした雨天と、さわやかな晴天が相前後する梅雨の季節を思わせます。あつぼったいキャラクターデザインに結構ディープな濡れ場と、物事にあまりうじうじせずどこかカラっとした裏表のない主人公像という対比もまた、梅雨のそんな日和をほうふつとさせますね。
 突き抜けて個性的な3人娘のやりとりは突拍子もなくおかしくて、けれどそのキャラクターゆえに恋愛沙汰とは縁遠く、初心なこころのままそういったことを半ば諦めかけていたところへ、教育実習に訪れた主人公の青年と出逢い、恋に落ちます。しかし自らの特殊な性格や境遇に悩み、落ち込んで、だからこそ真剣で真正直の恋愛がなんとも眩しい。まさに王道です。
 さらにこの作品で嬉しい、そう思わずうれしくなってしまうのは、主人公に選ばれることになるヒロインを、他の2人のヒロイン、それぞれ主人公のことを少なからず思っている様子が見てとれるのに、すぐさま彼女を応援する側に回り、それがまったく嫌味に感じられないところです。
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 主人公とヒロイン、気持ちを通じ合うふたりに立ちはだかる障害の解決に、まるで我が事のように懸命に取り組むヒロイン2人。それが見え透いた偽善的行為と認識されないのは、ふだんの彼女たちのやりとりが、ただおかしいだけではなくて、いかに互いをわかりあい、信頼しあい、またかけがえのない存在であるかということが、主人公の視点を借りて丁寧に、的確に描写されているからです。
 不器用ながらもさわやかな恋愛と、そして奇天烈ながらも厚い友情。ちょっと素敵だなと素直に思えるところが、この作品の素敵なところだと僕は思います。また、朗らかな行動が彼女たちの魅力だとすれば、主人公はその内面が魅力だといえます。
 自らの能力に関してややトラウマを抱え、その反動なのかどこかあっけらかんとした没交渉的な主人公の性格。「健啖家」「頑是なく」「尻馬に乗る」などといった古風な言い回しが頻出し、壁のシミが鳥毛立女屏風の第4扇に似ているなどという主人公の、どこかズレたインテリ風情とすっとんきょうな見識は、有無を言わさず押しかけてくる彼女たち3人の結びつきを、一歩引いた視点でゆるやかに描写しつつ、自分がそこに関わっているんだという静かな実感・うれしさもしみじみと描写します。
 その延長線上で湧きあがってくる、彼が今まで抱いたことのない恋愛という感情。どこか他人事のようで、実は自分のことに他ならないんだよね、とでもいうかのような飄々としたもどかしい態度は、トラウマを山の頂きに例えれば、まさに今登っている道程。頂に到達していざ下り始めたら彼はとたんに激しく、熱くなる。彼もまた、抑えてきたものがあるのです。
 主人公の偏屈な見識としなやかな内面は、ヒロイン3人に勝るとも劣らない個性的なもので、それは決して共感的でないということを意味しない。なぜなら彼は、この物語の、伏線というよりも意味においてセンチメンタルな深長を持ついくつかの側面について、わりと鮮やかな手際で取り上げてくれるからです。

 あの子が教えてくれなかったら、僕はきっと、一生これ(恋愛:月森註)を知らないままだったんじゃないかと思うのだ。
 言わなきゃ、伝えなきゃと痛感するほどの大事なものを、再び抱くことのないまま。
 隠しごとばかりしてきて、言うべきことを言わずに来て、いつの間にか、言うべきことも言うべきだと思える相手もなく。
 自分は面倒なものを持っているから、きっと誰とも、と。

 ぬるくなるものをぬるくするとか、感情的になると花を出現させてしまうなどの特殊な能力でないにしても、僕らは誰だって面倒なものを抱えています。「面倒なことになったら面倒だから」なんとなく隠している・やり過ごすことなんて、いくらでもあるんじゃないでしょうか。
 たとえば街中でおばあさんが重い荷物を抱えて苦しそうにしているのを見かければ、誰だって一瞬は「助けたほうがいいかな」と思うもの。しかしそれを実行に移すには、自らの心の内にくだらない面倒なものをいくつも抱えていて、「面倒なことになったら面倒だから」と、ついやり過ごしてしまう。
 そんな態度が大切な感情、瑞々しい感性を抑えつけ、失わせていることになるのだということを、決して説教くさかったり、青くさくなり過ぎない程度のさりげないテンションで教えてくれます。主人公の人柄もあるのだろうけど、そのさじ加減、妙に心に残ります。
 梅雨どきに雨がよく降るのはいわば当然のこと。外に出るのは確かに面倒だけれど、傘を忘れた人と相々傘をすることができるし、雨でびしょびしょになったあとに浴びるシャワーは存外気持ちがいい。それらは雨に降られなければ得られない機会で、面倒を承知で外に出なければ見つけられない気持ちです。
 そもそも面倒を乗り越えたからこそ彼女たち3人の友情は強まったのですから。
 ぬるくなるものをぬるくするという主人公の一風変わった能力は、ひるがえって、ぬるくならないものを証明する才能といい直すことができます。触れた彼女の頬の温もり、火傷をするようなSEXの熱さと同じように、好きな女の子のことを想うときの熱くドキドキする感じは、主人公にとってぬるくならないものらしい。
 しかし僕らは、それがぬるくなることを知っています。片思いの女の子が友達のことを悪しざまに言うのを聞いて興ざめするというような場合です。そういった意味でこの作品は"ぬるい"。しかしそうだからこそ大切なのだと、僕は改めて思うのです。
 ぬるくなるものをぬるくする能力というのは、つまるところ、このジャンルにおいて宿命的ともいえる、誇張されたご都合主義的な"熱さ"、偽悪的で被虐的な"冷たさ"を、"ぬるくする"という風に言い換えれば、おそらくギャルゲープレイヤーであれば誰もが備えている能力に違いありません。
 社会的・世間的意味合いを排除して奇跡的な純度を保つ精神性を感受する、いわば皮を剥いて中身を食べるという儀式を、僕らはプレイというスタイルに則って執り行っているわけです。一見突拍子もない主人公の能力は、永遠と呼べば居心地が悪いけれど、決してぬるくならない大切なものを見出す稀有なる魔法なのではなかろうかと、思ったりします。
 そしてそれは誰もが持っているもの、ここまでいっちゃうとさすがに青くさ過ぎますかね。