つむりん、やさしい友だち

 つむりんは将来立派なギャルゲーのヘタレ主人公が張れるに違いない、というお話。
 テレビ東京で日曜朝に放映しているアニメ「ぷるるんっ!しずくちゃん あはっ☆」、取り上げるのは第16話の後半エピソード「つむりんの冬の恋物語」、作品では脇役に過ぎない彼が主役のお話です。
 以下公式のあらすじ――。

すごい熱で倒れているこゆきちゃんを見つけたつむりん。すぐにこゆきちゃんを近くのはなたれ君の家に運ぶ。しかしそれを見ていたトリーノは、意地悪そうな笑みを浮かべ、ロゼちゃん家に向かっていったのだった・・・。

 ロゼちゃん(cv.斉藤桃子)というのは、第二期にあたる「〜あはっ☆」から登場したヒロイン。
 半ば既成事実として、うるおいちゃんがしずくちゃんカップリングされているのに対し、ロゼはどちらかというとつむりんと絡むことが多くて、つむりんのほうはといえば彼女に一目惚れ。
 しずくの森ではもっとも常識的で、ツッコミ役でもあったつむりんが、ロゼのことになると人が変わったように、嫉妬して感情的に行動したり、友だちを出し抜こうとしたりと、まさに「つむりん氏ね」。恋愛は人を悪い方向(バカ)に変えてしまう、男は狼なのよ気をつけなさいと、健全な子どもたちに刷り込むにはまさにうってつけ。
 ギャルゲー主人公にもうってつけ。
 今回のお話は、雪の積もったしずくの森で倒れている雪の妖精こゆきちゃん(cv雪野五月)をつむりんが見つけるところから始まります。ただ、本編を録画してあるわけではないので、以降のセリフは正確ではありません。画像もなし。こゆきちゃんは本当にかわいいのに、お見せできなくて本当に残念です。
 というか、"雪の"妖精役を"雪野"五月が演じているとはね……。
 心配したつむりんは近くのはなたれ君の家に連れて行きます。彼女をベッドに寝かして看病を始めるふたり。自分がいつも鼻水を垂らしているからこそ、風邪の治し方には詳しいんだというはなたれのトンデモ設定に痺れつつ、そもそも雪の妖精なら熱にうなされる前に溶けてるんじゃないですかね。
 それはともかく、つむりんはどうやらこゆきにも気があるようです。さすがは有望なギャルゲー主人公、浮気は甲斐(プレイ)性、かわいい子にはチャックを下げろ、原則に忠実で惚れ惚れしますね。
 その様子を窓越しに覗いていたのが、トリーノ。彼は(鳥ですけど)ロゼに飼われていて、ロゼのことが大好き。そのロゼにちょっかいを出すつむりんのことを常から邪魔に思っていて、「この様子をロゼちゃんが見ればつむりんはきっと嫌われる」と思いつき、すぐ家に戻ってロゼに「つむりんが遊ぼうって言ってるよ」とありもしないことを吹き込むのです。
 わざわざ嫌わせようと企んでしまう時点で、ロゼがある程度つむりんのことを気に入っているということを、ロゼのいちばん身近にいるトリーノが認めていることになるわけですが。ここらへん、何もしていないのにヒロインに好かれるという、キャルゲー主人公に最も求められる天性の素質もバッチリです。
 そしてつむりんはそこまで頭が回らない。鈍感度も適正水準ですね。
 「つむりん、遊ぼー」。何も知らないロゼははなたれ宅のドアを叩きます。つむりんは、こゆきと一緒にいることがロゼにバレると嫌われると思い、家の中で遊ぶことはできないと返事します。それじゃあ外で遊ぼうよと提案するロゼに、迷った挙句、病気のこゆきを放って遊ぶことはできないので「外でも遊べない」と応えました。
 「私と遊びたくないのね! つむりんひどい!」ロゼは怒って帰ってしまいます。「してやったり」のトリーノは意地の悪い笑みを残して飛び去っていきます。落ち込んでしまったつむりんに対し、申し訳ない気持ちを抱いたこゆきは、自分のことはいいからすぐ謝りに行くよう勧め、はなたれも看病は自分ひとりでも大丈夫だと話します。
 けれどつむりんはこう答えるんですね、

 「ロゼに謝るのはいつでもできるけど、こゆきと過ごせるのは冬の間だけだ」

と。
 そして、ロゼとのことを吹っ切ったかように熱心に看病をしてくれるつむりんに、こゆきは頬を赤らめるのでした。
 翌朝になるとこゆきはすっかり回復し、しずくの森から帰ることに。
 結局ロゼもすべての事情を了解し、怒ってしまったことを謝りに来ます。ついに顔を合わせる二人。けれど、つむりんが心配(妄想)したような自分を取り合う修羅場など起こるはずもなく、というかふたりはすぐに打ち解けました。
 そしてこゆきは別れ際、つむりんのことをそっと見て、ロゼにこう言うのです。

 「(ロゼちゃんには)つむりんみたいなやさしい友だちがいてしあわせね」
 「こゆきちゃんも友だちよ」

 ――ささやかな寸尺ながら、僕はギャルゲーのエッセンスが詰まった実に興味深いエピソードだなあと思ったのですよ。
 一見もっともらしい理屈をこねてヒロインを選択し、それが温かなセンチメントとしてすべて報われる。自らの勝手な都合で、一時的とはいえロゼに嘘をつき、傷つけたことは問題にされることなく、美しい余韻としてさわやかに収斂(なかったことに)されています。 
 例えばここでそういうことをいちいち問題としてあげつらうのが、橋田壽賀子の「渡る世間は鬼ばかり」であり、その世界では、日常というオチのない"物語"がずるずると続いていきます。甘くもなく、酸っぱくもなく、ただずるずると――。
 現実は間違いなく「渡る世間」に近いんでしょうが。
 だからこそ僕らは、どこまでも自身が主役であり続け、ヒロイン(他者)を傷つけたとしても、物語という枠組みとエンディングによって許され、不問に付されることが保証されているからこそ成立する、いわば終わりから始まりへ向かって完結してゆくというような、ギャルゲーというなまやさしい箱庭に、なごみ、いやされてしまう道理です。
 勝つことがわかっている戦いしかしない。
 僕はギャルゲーをプレイする。
 こゆきがつむりんのことを「やさしい友だち」と言い表わしたのは、そのとおりの意味で、ほんとうにその通りの意味だなあと、深々と考えさせられてしまうのでした。
 つむりんは今でも十分、立派に、ギャルゲーのヘタレ主人公が張れますね。つむりんは実はカタツムリなんですけど、カタツムリというのも、ヘタレは殻に閉じこもるもんだという風でこの際意味深だし、もう"とどめ"って感じですね。